過度に適度で遵当な

在日日本人

プロとアマチュアの狭間で

 おかげさまで『街頭時報の近現代』が発刊から1年半が経ちました。資料調査に着手したのが2017年10月です。コンスタントに即売会参加のたびに30部売れています。プロの研究者も買われる(!)など、素人には恥ずかしくもうれしい結果です。寺鐘、時計塔、サイレン、愛の鐘、そして防災行政無線に至る近世から現代の街頭時報の通史を叙述した、恐らく日本で最初の冊子です。
www.melonbooks.co.jp
 
 さて、『街頭時報の近現代』を書くにあたり、2017年当時、関係する語句を思いつく限り日本語/英語双方でGoogleScholarの検索にかけてみました。すると、研究の蓄積が殆どない。街頭時報を扱った研究はわずかに
・箕浦一哉,2013,「「夕方5時のチャイム」の公共性:山梨県富士吉田市の取り組みから」,『日本サウンドスケープ協会2013年度秋季研究発表会論文集』,1-5
が目に付くだけでした。これは富士吉田市の街頭時報をケーススタディに、共同体を横断する音の代表として街頭時報を分析した研究です。この研究は
1 防災行政無線の街頭時報は行政による専有独断で決まらないこと(音の公共性)
2 街頭時報を通した紐帯が富士吉田市の内外に形成されていること(音の紐帯)
を明らかにした、街頭時報研究の嚆矢になる研究と言えます。
 箕浦先生以外が研究されているのでしょうか。街頭時報を吹鳴する防災行政無線や自治会有線放送の目的に見ると、放送の担い手が聞き手にある情報を伝達する「メディア」と位置付けることができます。ところが、メディア史の研究は新聞史やラジオ史などの歴史的研究が主流と言えます。マクルーハンやキットラーなどの議論を下敷きに、科学技術の発達により生まれたラジオや電信といった新しいメディアに近代社会の人間がどう対応し、どう位置付けていったのかを研究する分野です。日本のメディア史は吉見俊哉の『声の資本主義』を起点に、ラジオや新聞等のマスメディアと近代日本社会の関わりを主要な問いにしていました。とすると、防災行政無線や自治会有線放送は時代的に誕生まもないメディア形態だったので研究上の課題に浮上しにくかったのだと思われます。
 吉見俊哉のメディア史研究の視座に異議を唱えたのが坂田謙司の『<声>の有線メディア史』です。坂田は同著で吉見俊哉のメディア史を「都市のメディア史」であり、片務的な研究であると批判します。坂田は吉見のラジオ史と電話史研究に対し、有線放送電話の歴史分析を行います。スタンダード(都市)とローカル(地方)が対置するメディア空間が戦後日本に形成されていたと指摘します。街頭時報って確かに地方のもの、というイメージが一般的と思われます。
 ですが、地域性の論点は、街頭時報史研究の根拠として弱い。日本の自治体の60%以上が街頭時報を採用している以上、片務的なものとは言い難い。
 これ以上は専門家の方から怒られが確実に来るので言及は避けます。メディア研究者に怒られそうです。マジで。あいつらLINEでここが違うって言ってくるんだぞ。ありがたいことです。
 ここから先を論じるのであれば、これまでのメディア史に対して街頭時報史を見ると、担い手の都市地方流動性、戦前期街頭サイレンによる空間横断的聴衆の形成、そして箕浦(2013)が提示した「音の紐帯」に至る、サイレンを軸にした空間越境的聴衆の誕生、すなわち時空間を超越する聴衆形成、そして統治者にとっての音の意義(「想像の共同体」を形成する「統治のメディア」)が指摘できる、という話がしたいのですが、それは私には荷が重すぎます。

 と、2017年12月に小冊の執筆に着手したころ、街頭で聞く時報音楽の研究は全くというほどなされていませんでした。そこでとるべき態度は以下の2つがあるように思われました。
1 研究者が怠惰で無能だと罵る
2 プロでさえ研究が進まないのだから、アマチュアにできることを考える
 1は誠実な態度ではありません。というわけで2を選びました。すなわち、フィールドとしてのマニアの空間で、マニア向けの通史を書く方法です。大学院から去る際、大学の契約データベースや国会図書館に所蔵されている街頭時報に関係する記事を根こそぎ収集しました。その他にも国立公文書館、東京都公文書館、東京都立中央図書館、神奈川県立中央図書館、埼玉県立図書館、千葉県立図書館等々から行政資料を収集し、調査結果をもとに通史を叙述したのが『街頭時報の近現代』と『街頭時報ハンドブック (各都道府県)編』です。実は『街頭時報の近現代』、参考文献欄の作成が追い付いていません。それに増刷のたびに内容を修正・加筆してきたので、値段も500円⇒1000円⇒1500円と当初の3倍になりました。値段分の価値を提供できていると思いたいです。

 『街頭時報の近現代』を出してから2年後の2020年1月、早稲田におられるキットラー研究者の原克先生が『騒音の文明史―ノイズ都市論』を刊行されました。東京市の「音の表象」を議論し、都市における「音」の位置づけを問うものです。そこで東京市のドン砲と街頭サイレンがガッツリ議論されていました。しかも小冊と議論や資料がクロスしている。街頭時報や「音」について何もなかった状況から、少しずつ議論の視座がメディア研究者たちに形成されているのかな、と思います。先日のC97、弊スペースにいらした方に原先生がいた気がする。お写真を拝見するとそっくりな方だった。そうでないかもしれないけども…

 大学院から去ったあの時の、失意のどん底を思い出すと、これでいいのだと思う。プロから見ると情けない内容でも、プロが小冊を見出してくれたら、ちょっとうれしい。

 街頭時報の一発芸人ですから、今後も深く、街頭時報を掘っていきます。

 でも、最後は発車メロディーや駅の発車合図の歴史叙述をしたい。マニアとしての一義のアイデンティティーは発車メロディーマニアだ。誰も持っていなかった、自分だけの視座で発車メロディーを語りたい。