過度に適度で遵当な

在日日本人

アカデミアを去ってから

アカデミアを去ってから、早くも4年が経とうとしています。色々なことがありました。

・「マツコの知らない世界」という番組から出演オファーを受ける。
街頭時報について書き記した記事をご覧になった番組制作者さんからツイッターアカウント経由で出演のオファーを受けました。内容はもちろん街頭時報について。持ちうる全ての歴史資料を準備して何度か打ち合わせをさせて頂きましたが、出演の段階に達していないとご判断を頂きお流れになりした。歴史が切り口だと面白くないよねえ…。

・学会発表をする。
街頭時報、特に戦前期のサイレンに絞って「文明の利器」から「総動員の装置」に至ったプロセスを学会で発表しました。サイレンに憑りつかれたように、全国のサイレンに関する資料を集め始めたのもこのころ。

・招待論文の打診を受ける。
上記の研究発表が好評をいただき、サイレンに絞った招待論文の打診を頂きました。査読とは少し距離があってフランクなやり取りを経てから提出しましたが、動員とそれをいざなう音について出来る限りの内容を盛り込んでいます。


そして、父になる。

次の人生が始まりました。