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在日日本人

「学校のチャイム」の波及史的試論 -モーターサイレンからミュージックチャイム、そして発車メロディーまで-

本記事の章立ては以下の通りです。
1 現代日本の放送設備と「チャイム」
2 寺鐘、太鼓、サイレン、チャイム
3 ミュージックチャイムの登場とミュージックチャイム市場の形成
4 レトロニズムと再評価
5 「ウェストミンスター・チャイム」

1 現代日本の放送設備と「チャイム」
現代、学校、工場、オフィスなどの設備統治者が定める時間規程に則った行動が求められる各設備は、その始まりや終わりを告げるための音楽合図が整備されている場合もあります。この音楽合図はロンドン市のビックベンの時計鐘を参考にした「ウェストミンスター・チャイム」が一般的です。「ウェストミンスター・チャイム」は日本の各設備で汎用的な音楽合図と認識され、シネクドキ的に「チャイム」と呼ばれるのもしばしばです。
この「ウェストミンスター・チャイム」が日本で一般化するには、いくつかの段階を踏む必要があります。そのうち、技術に着目すると、
1 学校や企業構内の放送設備が整備される(設備の準備)。
2 放送設備に曲目を問わず報時機能が追加される(報時機能の有用性認識)。
3 そのうち曲目が「ウェストミンスター・チャイム」に集約される(曲目の集約)。
4 1~3の状態が学校や企業の規模に関わらず波及する(拡大波及)。
の4段階がまず想起されます。
 1の「設備の準備」は、現代に限ると、文部科学省(旧文部省)が指導する学校施設整備指針に根拠があります。
文部科学省は国公立や私立学校を問わず、幼稚園、保育園、小中学校と高等学校、さらに特別支援学校に至る全ての学校設備に非常放送設備の設置を求めています*1。しかし、これは学校施設に関する指針です。官公庁や民間企業などの一般オフィスはどうでしょうか。
 2021年の日本政府は消防法で不特定多数の人間が集まる施設に非常用放送設備の設置を義務化しています。これは1972年の千日前デパート火災の反省ですが、「非常用放送設備」の設置を求めるのみで、日常的な始業終業合図の設置は必ずしも求めていません。学校や企業の活動の一環だからです。この非常用放送設備は既往の放送施設に乗っかって設置されました。
 すなわち、現代の日本の学校やオフィスで聴ける音楽合図や音楽放送は、非常用放送設備の法的義務をインフラの根拠にしていると言えます。しかし、消防法の義務化以前から「ウェストミンスター・チャイム」は波及していました。それはなぜでしょう。これは近代日本で音楽時報が担ってきた役割に関係があります。それを説明するのが2です。さて、2はそれだけで1記事以上書けます。そこで、私がものした『街頭時報の近現代』をご参考いただけたら幸いです*2。学校や工場の始業鐘がサイレンに移行したのち、「ウェストミンスター・チャイム」に統合されるまでをものしています。
本記事は主に3のミュージックチャイムについて叙述します。

3 ミュージックチャイムの登場とミュージックチャイム市場の形成
まずミュージックチャイムがチャイムを演奏する仕組みからご覧いただきましょう。
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動画1 ミュージックチャイムの演奏
1本1音の音鈴がモータの回転と同期したシリンダに刻まれた刻印によって打鐘され、それによって「ウェストミンスター・チャイム」を演奏しています。この製品は日本に限ったものではありません。ミュージックチャイムの原型は欧州の機械時計と言えます。
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イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国の機械時計はしばしば「ウェストミンスター・チャイム」が組み込まれています。日本の「ミュージックチャイム」とほぼ同じからくりと分かります。技術的な素地は19世紀には準備されていました。
日本のミュージックチャイムが初めて文献に登場したのは1930年です。
『少年技師ハンドブック』シリーズの『家庭実用品の作り方』に「ウェストミンスター寺院の鐘」が紹介されています。そこで、1950年代に普及する「ミュージックチャイム」とほぼ同じ機構が紹介されています。
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冒頭から「外国の時計にウェストミンスター寺院の鐘の響を仕組んだ」時計が日本に多く流通していると述べます。『家庭実用品の作り方』が出版された1930年、既に日本に「ウェストミンスター鐘」が時計鐘として輸入されている状況がわかります。続いて作者は「こゝではやはり眼ざまし時計の応用」として「その(ウェストミンスター鐘のこと ※筆者註)よい音を出させよう(本文ママ)にする電気的構造」と「鐘に代用すべき楽器」を読者に紹介すると宣言します。作者が想定する時計鐘が先に紹介したロングケース・クロックの時計鐘であることは明らかです。続いて作者は読者に音響装置の作り方を提示します。作者は4本の金属棒を叩いて音を発生する機構を提示します。ソ、ド、レ、ミの音に分けた4本を用意し、それぞれ順番通りに音を発生させるよう指示します。図中「16」と書かれたシリンダーが回転し、4本の金属棒を「ウェストミンスター鐘」の通りに叩いて音を発生させます。
少年達の手持ちの知識や工具で作成できる程簡素な構造であったようです。さて、実際かどうか確認できていないものの、1930年代から「ミュージックチャイム」を制作していた企業もあったようです。
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先に1950年代の東京の音響メディアについて確認しましょう。
 1940年代を通し、東京府各自治体は街頭サイレンを設置していました。これは街頭時報と防空警報を兼ねたもので、それ以外も国民精神総動員運動の一環で国家慶祝行事や天皇家の記念日にサイレンを吹鳴していました。1945年の敗戦で防空警報の役割が無くなり、東京の街頭サイレンは時報吹鳴機能のみになります。一方、街頭サイレンに代わる音響メディアとして1950年にYAMAHAがミュージックサイレンを開発し、銀座のYAMAHA本社に同装置が設置されます。また、森永時計塔に黛敏郎作曲の時報鐘が設置され、1950年代の東京は音楽時報が台頭し始めた時期と言えます。しかし、鐘の鳴り方に音楽性を持たせた時計鐘は1930年代から既に設置されていました。東京駅前の山田耕筰による時計鐘や早稲田大学等に既に設置されており、1950年代にいきなり始まったものでもありません。
 「サイレンから音楽へ」のムーブメントは1950年代前半の官公庁、公民館、オフィスで始まっていました。その音楽が「ウェストミンスター・チャイム」です。
しかし、「ミュージックチャイム」の登場が学校や企業に「ウェストミンスター・チャイム」を波及させたわけではありません。まず、オルゴールによる「ウェストミンスター・チャイム」が先んじます。
1945年に日本が無条件降伏後、新制学校制度が始まります。新制学校の始業終業合図として既往のベルやブザーに代わり、オルゴール装置が注目されます。
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『毎日新聞』1954.04.12 「月島第二小に併設-明石小にチャイム・オルゴール設える」
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『毎日新聞』1954.05.22 東京朝刊 「雑記帳:明大の塔から校歌のオルゴール(写真付)」
既往の文献によると敗戦の記憶を想起させるベルやブザーを排除する意図があったともいわれていますが、戦前から時計鐘としての「ウェストミンスター・チャイム」の普及をうかがい知ることもできます。さて、学校や企業の始業終業合図にオルゴール*3が用意された1954年、和光時計塔も「ウェストミンスター・チャイム」を採用します。ベルやブザーに代わる合図としての「ウェストミンスター・チャイム」はほぼ同時期に爆発的に波及します。それを後押ししたのがオルゴールであり、「ミュージックチャイム」でもあります。音楽合図機械市場が形成されていたと言い換えることも可能です。
「ミュージックチャイム」は中小メーカを組み込みで大手メーカが販売する場合もあり、
・ナショナル/Victor/日本コロムビア⇒マジマ
・東芝/光星舎
後発組として
・SEIKO/鯉城時計製作所
の生産チャネルがあったようです。また、意欲的に生産するメーカとして東京の太平機器もありました。太平機器の「ミュージックチャイム」は「TAIHEI MUSIC CHIME」のブランド名で全国に販売網を持っていたことも分かっています。
さて、この「ミュージックチャイム」は1音1鐘のため、複雑な曲を演奏するには不向きでした。特にナショナルは「オルゴールメロディチャイム」として音響装置組み込みの音楽テープを販売します。これが、現在、JR東日本の箱根ヶ崎駅や那須塩原駅で利用されている発車メロディーの音源です。意外な通底がある。
メーカや「ミュージックチャイム」装置の型番をまとめたリストなど、トリヴィアルな内容は『「ウェストミンスター・チャイム」の音響誌 -学校のチャイムの波及史的試論-』に追記するのでお楽しみください。
大手メーカの販売チャネルや学校設備基準が後押しし、学校のチャイムは技術的波及が進みます。また、企業も消防法に適合した機器に組み込まれた「ウェストミンスター・チャイム」が広がっていきました。ところが、「ミュージックチャイム」装置はその後のFM音源やPCM音源に置き換えられ、省みられることはありませんでした。

それが再評価されるのが昭和レトロニズムの勃興を待たねばなりません。
オークションサイトでマニアにより高値で取引されるようになります。

今回はここまでです。「ウェストミンスター・チャイム」は不思議なチャイムで、なぜここまで波及したのか、今回は法律と技術に関して若干の議論をしました。それ以外はぜひとも拙著をご参照ください*4

*1:参考として文部科学省,2014,『中学校施設整備指針(平成26年7月)』,「第8章設備設計 第4情報通信設備」, https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/07/25/1350225_05_5.pdf (引用日2021/1/9) その他の学校も設備設計の章は第4に該当指針がある

*2:www.melonbooks.co.jp

*3:戦前の時計鐘もオルゴールは格納されていた。特に服部時計がたけており、「服部の音時計」とも言われた。主な楽曲は「君が代」「軍艦マーチ」「うさぎとかめ」等。

*4:www.melonbooks.co.jp