過度に適度で遵当な

在日日本人

防災無線のチャイム(「街頭時報」)は何のため?NHK番組『チコちゃんに叱られる』の誤謬を指摘する。

NHKの番組に『チコちゃんに叱られる』があります。ストレートに言って小生はこの番組が嫌いです。
まず、知識は持っているから偉い*1わけでもありません。また、ある知識は複雑な歴史的・文脈的回路を経て意味が形成されるものです。それは辞書的に一義に決まるわけではありません。また、流通する中で新たな意味を獲得していく場合もあります。とにかく一筋縄ではいきません。それはミシェル・フーコーのarchaeologyの洗礼を浴びた21世紀に生きる私たちには当然のことです。ところが、この番組は違う。ましてやバラエティ番組として、NHKの地上波を借りて日本中に配信されています。あのNHKが、と肩を落とします。
一応小生の専門は防災政策史ですが、副業*2として日本の時報史の調査研究に取り組んでいます。これまで研究者のほとんどが取り組んでこなかった分野です。資料を漁るだけでもトリヴィアルどころか新しい議論が次々と可能になる、小生にとってはホットな分野です。
一般にもある程度関心のある方が多いのか、地上波で街頭時報が取り上げられることもしばしばあります。そして、上記でものしたように蛇蝎のごとく嫌っている番組、NHKの『チコちゃんに叱られる』でも取り上げられました。

2022年6月24日放送『チコちゃんに叱られる』で、防災無線から流れる街頭時報が取り上げられました。ですが、その内容が因果関係を矮小化し、矮小化した因果のみを回答として回答者にパワハラを行う、という最低な出だしから始まります。これは酷い予感がする。内容を見てみましょう。
① TOA社製MC-1010の「夕焼け小焼け」*3が流れる。
② チコちゃんが回答者Aに街頭時報の理由を訊ねる。→回答者Aの回答はチコちゃんにとっては不正解のため、回答者Aにパワハラを行う実際には本来の目的がその自治体も多い不勉強ゆえの暴力が発動され、きわめて理不尽である
③ 回答者Cがチコちゃんにとって正解を説く。
④ 東京都練馬区の「夕焼け小焼け」が流れ、チコちゃんにとっての回答*4がナレーションされる。
⑤ 市民に夕方の街頭時報の意義を質問する。→ 仮に先の音楽の通りに取材先が練馬区ならば、「回答」は間違いだ。VTRの練馬?市民は行政にとって正しい聴取態度で臨んでいる。
⑥ チコちゃんが「回答」を披露。曰く「防災無線のテストのため」→ それは一部自治体の理由であり、全体を説明する理由ではない。東京23区で言うと東京都港区や東京都目黒区程度などに留まる。
⑦ 関西大学社会安全学部の城下先生が「回答」に折り紙を与える → 城下先生は防災教育の専門家であり、街頭時報の専門家ではなかったと思うのだが*5…。
⑧ 各地の街頭時報のうち、キャッチーな曲を紹介してコーナー終了。
という内容でした。ハッキリ言いましょう。ウェブで紹介されている街頭時報の説明をそのままコピペした、杜撰な内容でした。

まず、現在、自治体サイトに明記された機能別に整理すると、以下の5種類に分類することができます。関東一円の自治体をケーススタディとしています。
① 純時報的鳴動
…時報としか明記されていない場合
② 試験放送兼任鳴動
…時報および試験放送の兼任が明記されている場合
③ 試験単純鳴動
…地域防災行政/同報無線の試験鳴動として明記されている場合
④ 生活改善鳴動
…児童や青少年の生活改善を期待した場合
⑤ 戦争顕彰
… 平和の鐘と呼ばれるもの。東京都では新宿区と奥多摩町がこれにあたる。

この街頭時報が日本の各地に波及していった理由は小冊の『街頭時報の近現代』に東京23区をケーススタディとして分析しましたが、ここでもその一端を紹介したいと思います。出血大サービスです。まず、防災行政無線は私たちにとって身近な、スピーカーを通して放送がアナウンスされる「自治体防災行政無線」とは種類のことなるものがいくつかあります。例えば「中央防災無線」「都道府県防災行政無線」等です。先述の「中央防災無線」は各省庁や関係中央諸機関を結ぶ無線網、「都道府県防災行政無線」は中央と都道府県、そして消防本部や基礎自治体を結ぶ無線網です。この無線網は1960年代から徐々に整備されていきました*6。理由は災害発生後の通信網を確保すること。これだけ見ると常識的な整備理由に見えますが、日本の場合は関東大震災発生後の新聞社の壊滅による情報の不足、流言の発生*7、そして朝鮮人等大虐殺が起きた歴史的経緯があります。一般に災害発生後は「災害ユートピア」と呼ばれる相互扶助のアドホックな社会が生まれるとされています。ところが、日本の場合、1923年9月はそうではなかった。朝鮮人や社会主義者は官憲と市民に虐殺され、そのほとんどが法的に裁かれぬままでした。
すなわち、災害発生後の通信網確保は関東大震災を繰り返さないうえで喫緊の課題として災害研究者に認識されていました。そして流言を抑える最終手段として「自治体防災行政無線」が中央防災会議から郵政省に提案、徐々に設置されていきます。1978年のことです。ところが、各基礎自治体にとって莫大な費用を要する「自治体防災行政無線」を毎日遊ばせていくわけにはいきません。そこで1978年に、まず東京23区では大田区が1980年「時報のメロディー」として「夕焼け小焼け」の音楽の吹鳴を始めます。そうです、「防災行政無線のテスト」とは一言も書かれていません。当時の大田区議会議事録でも同様の答弁がなされています。
確かに東京都港区や目黒区のように「防災無線のテスト」として始まった自治体もあります。しかし、東京23区の場合、それは少数派です。さらに東京都港区は「児童帰宅促進の役割を兼ねた」と広報紙に掲載しています。「試験単純鳴動」というわけではありません。
ある基礎自治体から始まった波及例と思しき事例も存在します。例えば東京都練馬区は1980年に「夕べの鐘」として青少年生活改善の一環として防災無線の街頭時報鳴動を始めます。その後、板橋区、中野区、杉並区、渋谷区と練馬区に続いていきます。
城西地区だけではありません。城東地区の墨田区も1981年に夏休み限定で区内の防災行政無線を利用した「帰宅のチャイム」を始めます。これが好評を博したのか、3か月後の1981年11月から通年鳴動が始まります。その後の波及例と思しき例は言うまでもありません。江戸川区、北区、荒川区、葛飾区、足立区も続いて「児童帰宅促進」の街頭時報の放送を開始します。
ここまで東京23区の事例を見てきましたが、試験単純鳴動は東京都目黒区と少数派しかありません。さらに埼玉県南部は顕著に「児童帰宅促進」の側面が如実に現れています。防災行政無線の街頭時報の管轄部署が多くの自治体で児童や青年福祉に関係するものだからです。

さて、「試験」であるならば毎日放送する必要はありません。愛知県名古屋市は月に1度の試験単純鳴動しかしていません。かの地は防災行政無線の騒音性を争った呉智英裁判の土地です。その影響が残されているのでしょうか。番組内で取り上げられた福島県須賀川市は1日に3度も「試験」しています。愛知県名古屋市に比してなんと90倍。ではそこまで防災行政無線が重要視されている災害時メディアか、というと、現代の災害研究者たちにとってはそうではありません。
換言すると防災行政無線*8は自治体ごとにその土地の歴史的経緯を背負っているわけです。『チコちゃん』が言ったようなひとつの答えに集約することはできません。その土地々の歴史的経緯を多くの文書から紐解く必要があります。『チコちゃん』はその歴史性をいわば蹂躙したわけです。

しかし城下先生、この内容は専門外ではありませんでしたか。小生が防災政策史の院生業にいた頃は防災教育の専門家であられたと思います。少なくとも先生は街頭時報について折り紙を与えられません。研究者としてその姿勢は如何なものでしょうか。

最後に一言だけ申し上げさせてください。

叱られるのはチコちゃん、お前だ。

*1:回答者を怒鳴るパワハラの対象にはできない

*2:現在は本業と言えるはず…はず!

*3:ファンの間では「新音源」としても知られる

*4:以下、「回答」

*5:小生が院生だった当時の話である。今は違うのかもしれない。

*6:芦田内閣で同様の無線網設計が上伸されたが、同政権瓦解により中止されている。

*7:社会心理学の方ならオルポートの公式をご存じかもしれません。

*8:愛知県名古屋市の場合は「同報無線」