過度に適度で遵当な

在日日本人

防災無線のチャイム(「街頭時報」)は何のため?NHK番組『チコちゃんに叱られる』の誤謬を指摘する。

NHKの番組に『チコちゃんに叱られる』があります。ストレートに言って小生はこの番組が嫌いです。
まず、知識は持っているから偉い*1わけでもありません。また、ある知識は複雑な歴史的・文脈的回路を経て意味が形成されるものです。それは辞書的に一義に決まるわけではありません。また、流通する中で新たな意味を獲得していく場合もあります。とにかく一筋縄ではいきません。それはミシェル・フーコーのarchaeologyの洗礼を浴びた21世紀に生きる私たちには当然のことです。ところが、この番組は違う。ましてやバラエティ番組として、NHKの地上波を借りて日本中に配信されています。あのNHKが、と肩を落とします。
一応小生の専門は防災政策史ですが、副業*2として日本の時報史の調査研究に取り組んでいます。これまで研究者のほとんどが取り組んでこなかった分野です。資料を漁るだけでもトリヴィアルどころか新しい議論が次々と可能になる、小生にとってはホットな分野です。
一般にもある程度関心のある方が多いのか、地上波で街頭時報が取り上げられることもしばしばあります。そして、上記でものしたように蛇蝎のごとく嫌っている番組、NHKの『チコちゃんに叱られる』でも取り上げられました。

2022年6月24日放送『チコちゃんに叱られる』で、防災無線から流れる街頭時報が取り上げられました。ですが、その内容が因果関係を矮小化し、矮小化した因果のみを回答として回答者にパワハラを行う、という最低な出だしから始まります。これは酷い予感がする。内容を見てみましょう。
① TOA社製MC-1010の「夕焼け小焼け」*3が流れる。
② チコちゃんが回答者Aに街頭時報の理由を訊ねる。→回答者Aの回答はチコちゃんにとっては不正解のため、回答者Aにパワハラを行う実際には本来の目的がその自治体も多い不勉強ゆえの暴力が発動され、きわめて理不尽である
③ 回答者Cがチコちゃんにとって正解を説く。
④ 東京都練馬区の「夕焼け小焼け」が流れ、チコちゃんにとっての回答*4がナレーションされる。
⑤ 市民に夕方の街頭時報の意義を質問する。→ 仮に先の音楽の通りに取材先が練馬区ならば、「回答」は間違いだ。VTRの練馬?市民は行政にとって正しい聴取態度で臨んでいる。
⑥ チコちゃんが「回答」を披露。曰く「防災無線のテストのため」→ それは一部自治体の理由であり、全体を説明する理由ではない。東京23区で言うと東京都港区や東京都目黒区程度などに留まる。
⑦ 関西大学社会安全学部の城下先生が「回答」に折り紙を与える → 城下先生は防災教育の専門家であり、街頭時報の専門家ではなかったと思うのだが*5…。
⑧ 各地の街頭時報のうち、キャッチーな曲を紹介してコーナー終了。
という内容でした。ハッキリ言いましょう。ウェブで紹介されている街頭時報の説明をそのままコピペした、杜撰な内容でした。

まず、現在、自治体サイトに明記された機能別に整理すると、以下の5種類に分類することができます。関東一円の自治体をケーススタディとしています。
① 純時報的鳴動
…時報としか明記されていない場合
② 試験放送兼任鳴動
…時報および試験放送の兼任が明記されている場合
③ 試験単純鳴動
…地域防災行政/同報無線の試験鳴動として明記されている場合
④ 生活改善鳴動
…児童や青少年の生活改善を期待した場合
⑤ 戦争顕彰
… 平和の鐘と呼ばれるもの。東京都では新宿区と奥多摩町がこれにあたる。

この街頭時報が日本の各地に波及していった理由は小冊の『街頭時報の近現代』に東京23区をケーススタディとして分析しましたが、ここでもその一端を紹介したいと思います。出血大サービスです。まず、防災行政無線は私たちにとって身近な、スピーカーを通して放送がアナウンスされる「自治体防災行政無線」とは種類のことなるものがいくつかあります。例えば「中央防災無線」「都道府県防災行政無線」等です。先述の「中央防災無線」は各省庁や関係中央諸機関を結ぶ無線網、「都道府県防災行政無線」は中央と都道府県、そして消防本部や基礎自治体を結ぶ無線網です。この無線網は1960年代から徐々に整備されていきました*6。理由は災害発生後の通信網を確保すること。これだけ見ると常識的な整備理由に見えますが、日本の場合は関東大震災発生後の新聞社の壊滅による情報の不足、流言の発生*7、そして朝鮮人等大虐殺が起きた歴史的経緯があります。一般に災害発生後は「災害ユートピア」と呼ばれる相互扶助のアドホックな社会が生まれるとされています。ところが、日本の場合、1923年9月はそうではなかった。朝鮮人や社会主義者は官憲と市民に虐殺され、そのほとんどが法的に裁かれぬままでした。
すなわち、災害発生後の通信網確保は関東大震災を繰り返さないうえで喫緊の課題として災害研究者に認識されていました。そして流言を抑える最終手段として「自治体防災行政無線」が中央防災会議から郵政省に提案、徐々に設置されていきます。1978年のことです。ところが、各基礎自治体にとって莫大な費用を要する「自治体防災行政無線」を毎日遊ばせていくわけにはいきません。そこで1978年に、まず東京23区では大田区が1980年「時報のメロディー」として「夕焼け小焼け」の音楽の吹鳴を始めます。そうです、「防災行政無線のテスト」とは一言も書かれていません。当時の大田区議会議事録でも同様の答弁がなされています。
確かに東京都港区や目黒区のように「防災無線のテスト」として始まった自治体もあります。しかし、東京23区の場合、それは少数派です。さらに東京都港区は「児童帰宅促進の役割を兼ねた」と広報紙に掲載しています。「試験単純鳴動」というわけではありません。
ある基礎自治体から始まった波及例と思しき事例も存在します。例えば東京都練馬区は1980年に「夕べの鐘」として青少年生活改善の一環として防災無線の街頭時報鳴動を始めます。その後、板橋区、中野区、杉並区、渋谷区と練馬区に続いていきます。
城西地区だけではありません。城東地区の墨田区も1981年に夏休み限定で区内の防災行政無線を利用した「帰宅のチャイム」を始めます。これが好評を博したのか、3か月後の1981年11月から通年鳴動が始まります。その後の波及例と思しき例は言うまでもありません。江戸川区、北区、荒川区、葛飾区、足立区も続いて「児童帰宅促進」の街頭時報の放送を開始します。
ここまで東京23区の事例を見てきましたが、試験単純鳴動は東京都目黒区と少数派しかありません。さらに埼玉県南部は顕著に「児童帰宅促進」の側面が如実に現れています。防災行政無線の街頭時報の管轄部署が多くの自治体で児童や青年福祉に関係するものだからです。

さて、「試験」であるならば毎日放送する必要はありません。愛知県名古屋市は月に1度の試験単純鳴動しかしていません。かの地は防災行政無線の騒音性を争った呉智英裁判の土地です。その影響が残されているのでしょうか。番組内で取り上げられた福島県須賀川市は1日に3度も「試験」しています。愛知県名古屋市に比してなんと90倍。ではそこまで防災行政無線が重要視されている災害時メディアか、というと、現代の災害研究者たちにとってはそうではありません。
換言すると防災行政無線*8は自治体ごとにその土地の歴史的経緯を背負っているわけです。『チコちゃん』が言ったようなひとつの答えに集約することはできません。その土地々の歴史的経緯を多くの文書から紐解く必要があります。『チコちゃん』はその歴史性をいわば蹂躙したわけです。

しかし城下先生、この内容は専門外ではありませんでしたか。小生が防災政策史の院生業にいた頃は防災教育の専門家であられたと思います。少なくとも先生は街頭時報について折り紙を与えられません。研究者としてその姿勢は如何なものでしょうか。

最後に一言だけ申し上げさせてください。

叱られるのはチコちゃん、お前だ。

*1:回答者を怒鳴るパワハラの対象にはできない

*2:現在は本業と言えるはず…はず!

*3:ファンの間では「新音源」としても知られる

*4:以下、「回答」

*5:小生が院生だった当時の話である。今は違うのかもしれない。

*6:芦田内閣で同様の無線網設計が上伸されたが、同政権瓦解により中止されている。

*7:社会心理学の方ならオルポートの公式をご存じかもしれません。

*8:愛知県名古屋市の場合は「同報無線」

謎が謎を呼ぶ「永楽音源」

たまたまメルカリで購入した1枚の中古CD。何気なく再生したところ、何と「永楽電気」製造と思われてきたメロディー群のマスター音源が収録されていました。確かに「永楽電気」製造とされてきた曲目がジャケットに掲載されていたのですが、フォロワー企業の音源集くらいだろうと考えていました。
「すみれの花咲くころ」はJR那須塩原駅の再生速度が収録されていたり、北条鉄道や高知県安田町で使われていたチャイムの曲名が「あこがれ」、「蘇我1番」の曲名は「故郷(ふるさと)のいこい」と判明するなど、思わぬ収穫もありました。これで一件落着。「永楽電気」製の駅メロは全ての曲名が判明しただろう、と。

ところが、CDのジャケットを確認すると「永楽電気」の名前はどこにもなく、「制作著作 ○○ナショナルシステム」とあります*1。National?!
確かにNationalはJR東日本に放送装置を納入してきた企業ですが、一体この曲群と何の関係が…。
一旦は解決したと思った「永楽音源」の全て。ところが、そんな甘いものではありませんでした。そこから、「永楽音源」の掘れば掘るほど増えていく謎との付き合いが始まりました。

謎1 メーカーの謎
これまで永楽電気の放送装置に組み込まれることが多かったことから、「永楽電気」製と思われてきたあのメロディー群。思うと、組み込み放送装置=音源制作メーカーと直に決まったわけではありませんでした。「東洋メディアリンクス」製と思われてきた「Gota del Vient」や「Water Crown」がカンノ製作所製造の装置に組み込まれてきた例もあります。逆の図式で言うと、永楽電気製の放送装置に「ユニペックス」製の「春」や「せせらぎ」、井出氏作曲の「ミュートピアノと鈴の音」が組み込まれた例もあったわけです。つまり、放送装置と発車メロディーメーカーの等号は必ずしも成立してきたわけではありません。ここが盲点でした。1990年代はともかく、2000年代に入るとPanasonic製の放送装置に更新されたJR館山駅で引き続き「永楽音源」が用いられるなど、イレギュラーも増えていきます*2。JR箱根ケ崎駅もそうです。Panasonic製の放送装置に差し替えられても、発車メロディーは引き継がれました。JR以外に目を向けて北神急行電鉄の車内放送を考えてみると、永楽電気は車内放送装置を製造していません。これも不思議です。
「永楽音源」をより一層魅力的にしていた例に各地の防災行政無線や自治会有線放送等による音楽時報があります。例えば北海道中標津町12時の「緑の風」、高知県安田町の各音楽時報、愛媛県四国中央市の各音楽時報、山口県下関市吉見地区の「緑の風」、・・・。
音楽時報は定時に放送する必要があるため、「プログラムタイマー」や「プログラムチャイム」と呼ばれる、時計と連動して動作するPA装置が必要です。ところが、これも永楽電気は製造していない。
ここまでをまとめると、
鉄道会社向け:これまで信じられてきた永楽電気の放送装置組み込み=永楽電気が音源の制作メーカーと考える図式には疑問が残る。
各自治体や自治会向け:主に鉄道会社に製品を納入してきた企業である永楽電気は、ノータッチの可能性が高い。

一般に発車メロディー向けに制作された楽曲は短くて5秒程度〜長くとも20秒程度と一定の秒数に収まります。電車の停車時間に合わせて発注・制作されるからです。ところが、「永楽音源」は短くとも40秒程度*3、長いものでは70秒近くもあります*4。発車メロディー向けに制作された楽曲とするには無理があります。主に鉄道会社に納入する永楽電気が発車メロディーに特有な制作条件を無視して編曲するとは考えにくい。
とすると、あのメロディー群は「永楽電気」ではなく、「National」もしくは「〇〇ナショナルシステム」が発注した可能性が高い。とはいえ、まだまだ「永楽電気」の可能性が残ります。いわゆる「状況証拠」に過ぎないからです。では、なぜ永楽電気製の装置に大量に組み込まれていたのでしょうか。

謎2 組み込みの謎
これには大人の事情があったとか。これ以上は言えません。

謎3 速度の謎
所有する原盤の再生速度は「すみれの花咲くころ」がJR那須塩原駅のものでした。例えば、三鷹市役所の「緑の風」や「すみれの花咲くころ」、鳥取県庁の「ふるさと」や「アマリリス」とは若干再生周波数が高く設定されています。ところが、JR東日本に初期に導入された「永楽音源」は三鷹市役所や鳥取県庁のものから再現すると、非常に難しい。私の所有する原盤からですと1.3倍速や1.75倍速等非常にキリのいい数字で周波数変更すれば容易に再現できます*5。ところが、JR箱根ケ崎駅で採用された「すみれの花咲くころ」は三鷹市役所と同じものです。JR白岡駅やJR新白岡駅も同様です*6。おそらくJRに納入された音源は2種類あり、
1 私の所有する原盤と同じ再生周波数のもの。
2 私の所有する原盤とは若干再生周波数を下げたもの。
ではないかと思われます*7

謎4 音質の謎、あるいは所有原盤の作成時期の謎
「永楽音源」を特徴づけるサウンドとしてバックのホワイトノイズが挙げられます。そのホワイトノイズは私が所有する原盤でも確認できました。
しかし、私の所有する原盤は、一部の採用箇所で耳にできるものと比べて若干音が貧弱です。また、「希望の鐘 チューベルタイプ」や「すみれの花咲くころ」に至っては音割れを起こしています。
例えば三鷹市役所の「緑の風」と私が所有する原盤の「緑の風」を比較すると、三鷹市役所の方が音質がいい。「すみれの花咲くころ」は音割れは起こしていません。
おそらく私が所有する原盤は三鷹市役所のものより劣化したテープからマスタリングしたのだと思われます。また、ホワイトノイズの向こうに同じ音源が低い音量で裏被りしています。これは古くなったテープでしばしば見られる現象です。「制作著作」と銘打った企業が、ジャケットの名称を名乗っていたのは1994年1月から2008年10月まで。時期からしても古くなったテープから起こしていた可能性が高そうです。
ただ、JR赤羽駅5番線や6番線で採用された「牧場の朝 Type.1」や「アマリリス」は私の所有する原盤と比べてかなり劣化した印象を受けます。例のホワイトノイズを波形処理で削除した結果でしょうか?。
とすると、先にあげた1と2以外に3あるいは4の納入音源群がありそうです*8

謎5 他社所有の謎
YouTubeを徘徊していると不思議な動画に出会いました。「ウェストミンスター・チャイム」の様々なアレンジを収録しているようですが、、、


www.youtube.com


なんと「希望の鐘 エレピタイプ」と「ノートルダム寺院の鐘」の周波数低めバージョンが収録されている!。投稿者の方によるとノボル電機のものだそうです。一体なぜ・・・。

この1年、掘れば掘るほど謎が深まる「永楽音源」。そうです。実は編曲者が誰なのかさえ未だに分かっていません。でも、National/Panasonicに関係のある音源群であることだけは明らかになりました。JR赤羽駅5番線や6番線で2010年代に新規採用があったことに鑑みれば、まだ所有している可能性は否定できません。

そして一般販売へ…
小生、動きます。

*1:社名が一部黒塗りになっていたが、該当する企業は容易くGoogle検索から発見できる。

*2:音源の規格化があり、各社の放送装置で音源読み取り部が統一された可能性もあるが、それは2000年代以降になって初めて観察できる現象ではない。

*3:「牧場の朝 Type.4」、「歓びの歌」や「野ばら」等。

*4:「アマリリス」、「浜千鳥」や「すみれの花咲くころ」等。

*5:もちろん駅で耳にするメロディーは駅の自動放送装置の調子に左右されるのか、完全に同じというわけには行かない。例えばJR立川駅4番線や6番線の楽曲は実際と若干異なる

*6:音質に細かい差がある。JR箱根ヶ崎駅よりJR白岡駅の方が音質が良い。

*7:ただ、再生音質の差から第3,第4の音源があるかもしれないが…。

*8:JR館山駅最末期の「浜千鳥」も原盤そのままだが、音質は劣化しておらずホワイトノイズもそのまま。これも謎だ。

アカデミアを去ってから

アカデミアを去ってから、早くも4年が経とうとしています。色々なことがありました。

・「マツコの知らない世界」という番組から出演オファーを受ける。
街頭時報について書き記した記事をご覧になった番組制作者さんからツイッターアカウント経由で出演のオファーを受けました。内容はもちろん街頭時報について。持ちうる全ての歴史資料を準備して何度か打ち合わせをさせて頂きましたが、出演の段階に達していないとご判断を頂きお流れになりした。歴史が切り口だと面白くないよねえ…。

・学会発表をする。
街頭時報、特に戦前期のサイレンに絞って「文明の利器」から「総動員の装置」に至ったプロセスを学会で発表しました。サイレンに憑りつかれたように、全国のサイレンに関する資料を集め始めたのもこのころ。

・招待論文の打診を受ける。
上記の研究発表が好評をいただき、サイレンに絞った招待論文の打診を頂きました。査読とは少し距離があってフランクなやり取りを経てから提出しましたが、動員とそれをいざなう音について出来る限りの内容を盛り込んでいます。


そして、父になる。

次の人生が始まりました。

同人誌の内容をパクられた話とパクったサイトが閉鎖してしまうまでの話

「パクる」は学の用語で「剽窃」と言うので、本文では「剽窃」と呼びならわします。

1 同人誌の内容を剽窃したサイトが出てきた
 さて、一昨年の8月から『街頭時報の近現代』という同人誌を発行しています。
www.melonbooks.co.jp
全く分かっていなかった防災行政無線や有線放送の時報の淵源を求めてマニア向けに書いた冊子です。この冊子を執筆した当時、メディア史の研究者さえ歴史研究に着手しておらず、見取り図になるような研究もほぼ皆無の状態でした。さしあたって横断的に論じるために「街頭時報」と名を打ち、国会図書館や全国の図書館をめぐって、行政資料、メディア資料、企業資料や、日記や回想録等市民が書き記した文献資料をかき集め、その分析から問いをつくりあげます。トリビアルな内容に留まらず、本職の研究者が目を通しても知的好奇心を充足できる内容を目指しました。

蓋を開けてみると非マニアの方にもお求めいただき*1、意外とTwitterでも評判は悪くありませんでした。なんと本職の研究者の方もお求めになるなど、目的は果たし、出版した甲斐があったと思ったものです。新事実や論が深まるたびに補筆改訂を加え、当初書き上げた分量の1.5倍程の長さまで増量しました*2。書いたものを面白がってくれる人がいると作者としてこれほどうれしいものはありません。

 ところが、昨年の夏、「打鐘式チャイムの継承」と名乗るサイトが現れます。このサイトの管理人氏は面識もあり、私の冊子を購入済みであると確認しています。中身をみるとあらびっくり!私の同人誌で初めて指摘した(同人誌のオリジナリティ)歴史的事実が、私の同人誌の引用符が全くないまま編集されています。あのねえ、文言を変えても分かる人には分かるんです。議論の道筋は誤魔化しようがない。その上劣悪な英語訳で「要約」までされている。これは愉快ではありません。そこで剽窃の指摘と内容の撤回を求めるべく、WEBベースで行動を起こすことにしました。

2 どう対処したか
一般に剽窃の場合、「著作権」を剽窃指摘の理論武装に用います。ですが法律の解釈は素人には難しい。言わずもがな、判例もズブの素人が使えるほど易しいものではありません。それに「著作権」は丸写しや一部を改変した場合に用いられる方法論です。要約や論理の微妙なぶれを包摂は難しい。

そこで「著作権」という法的解釈を伴う論理で相手を攻撃するのではなく、学の世界で一般的に使われる「剽窃」を用いた方が得策だと判断しました。そのわけは
1 素人には難しい法的解釈を伴わず、剽窃の指摘に必要な論理が広く流通しているため。
2 先行事例が豊富なので分析と議論を立てやすい。
幸い、学の世界に片足を突っ込んでいた時期があり、剽窃で問題になる場合と対処法はそこそこの心得があります。そこで、以下の目標を設定しました。
第1水準 サイトの剽窃箇所に適切な引用符をつけさせる。
第2水準 剽窃箇所の全削除させる。
第3水準 剽窃サイトの閉鎖させる。
第1水準を仮の目標とし、サークルのアカウントで管理人氏のツイッターアカウントに抗議のリプライを飛ばします。


詳しい剽窃の内容と管理人氏の態度については上記のツリーをご覧ください。
ところが、「打鐘式チャイムの継承」管理人氏は剽窃の重さを全く理解していなかったようです。それ以降、私は再度抗議を行いました。

3 その後
「打鐘式チャイムの継承」は8月3日にサイトを閉鎖。以降、管理人の飯田薫氏は全く反応を見せません。とはいえ、第3水準まで達成されたので本願は成就しました。今後も定期的に弁解の督促は続けています。が、本人は既に雲隠れを決めている以上、期待した結果はなさそうです。同人誌の内容をもとに学の査読論文を書いているため、いわれもない疑いを被る訳にはいきません。今回の対応は徹頭徹尾正しいものだと考えています。

4 教訓
他人の褌で相撲は取るな。

*1:売れ行きも上々で、コミケで出品すると12時頃には完売します。

*2:当初は500円で販売したが、現在、対面販売だと1000円で販売しています。

「学校のチャイム」の波及史的試論 -モーターサイレンからミュージックチャイム、そして発車メロディーまで-

本記事の章立ては以下の通りです。
1 現代日本の放送設備と「チャイム」
2 寺鐘、太鼓、サイレン、チャイム
3 ミュージックチャイムの登場とミュージックチャイム市場の形成
4 レトロニズムと再評価
5 「ウェストミンスター・チャイム」

1 現代日本の放送設備と「チャイム」
現代、学校、工場、オフィスなどの設備統治者が定める時間規程に則った行動が求められる各設備は、その始まりや終わりを告げるための音楽合図が整備されている場合もあります。この音楽合図はロンドン市のビックベンの時計鐘を参考にした「ウェストミンスター・チャイム」が一般的です。「ウェストミンスター・チャイム」は日本の各設備で汎用的な音楽合図と認識され、シネクドキ的に「チャイム」と呼ばれるのもしばしばです。
この「ウェストミンスター・チャイム」が日本で一般化するには、いくつかの段階を踏む必要があります。そのうち、技術に着目すると、
1 学校や企業構内の放送設備が整備される(設備の準備)。
2 放送設備に曲目を問わず報時機能が追加される(報時機能の有用性認識)。
3 そのうち曲目が「ウェストミンスター・チャイム」に集約される(曲目の集約)。
4 1~3の状態が学校や企業の規模に関わらず波及する(拡大波及)。
の4段階がまず想起されます。
 1の「設備の準備」は、現代に限ると、文部科学省(旧文部省)が指導する学校施設整備指針に根拠があります。
文部科学省は国公立や私立学校を問わず、幼稚園、保育園、小中学校と高等学校、さらに特別支援学校に至る全ての学校設備に非常放送設備の設置を求めています*1。しかし、これは学校施設に関する指針です。官公庁や民間企業などの一般オフィスはどうでしょうか。
 2021年の日本政府は消防法で不特定多数の人間が集まる施設に非常用放送設備の設置を義務化しています。これは1972年の千日前デパート火災の反省ですが、「非常用放送設備」の設置を求めるのみで、日常的な始業終業合図の設置は必ずしも求めていません。学校や企業の活動の一環だからです。この非常用放送設備は既往の放送施設に乗っかって設置されました。
 すなわち、現代の日本の学校やオフィスで聴ける音楽合図や音楽放送は、非常用放送設備の法的義務をインフラの根拠にしていると言えます。しかし、消防法の義務化以前から「ウェストミンスター・チャイム」は波及していました。それはなぜでしょう。これは近代日本で音楽時報が担ってきた役割に関係があります。それを説明するのが2です。さて、2はそれだけで1記事以上書けます。そこで、私がものした『街頭時報の近現代』をご参考いただけたら幸いです*2。学校や工場の始業鐘がサイレンに移行したのち、「ウェストミンスター・チャイム」に統合されるまでをものしています。
本記事は主に3のミュージックチャイムについて叙述します。

3 ミュージックチャイムの登場とミュージックチャイム市場の形成
まずミュージックチャイムがチャイムを演奏する仕組みからご覧いただきましょう。
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動画1 ミュージックチャイムの演奏
1本1音の音鈴がモータの回転と同期したシリンダに刻まれた刻印によって打鐘され、それによって「ウェストミンスター・チャイム」を演奏しています。この製品は日本に限ったものではありません。ミュージックチャイムの原型は欧州の機械時計と言えます。
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イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国の機械時計はしばしば「ウェストミンスター・チャイム」が組み込まれています。日本の「ミュージックチャイム」とほぼ同じからくりと分かります。技術的な素地は19世紀には準備されていました。
日本のミュージックチャイムが初めて文献に登場したのは1930年です。
『少年技師ハンドブック』シリーズの『家庭実用品の作り方』に「ウェストミンスター寺院の鐘」が紹介されています。そこで、1950年代に普及する「ミュージックチャイム」とほぼ同じ機構が紹介されています。
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冒頭から「外国の時計にウェストミンスター寺院の鐘の響を仕組んだ」時計が日本に多く流通していると述べます。『家庭実用品の作り方』が出版された1930年、既に日本に「ウェストミンスター鐘」が時計鐘として輸入されている状況がわかります。続いて作者は「こゝではやはり眼ざまし時計の応用」として「その(ウェストミンスター鐘のこと ※筆者註)よい音を出させよう(本文ママ)にする電気的構造」と「鐘に代用すべき楽器」を読者に紹介すると宣言します。作者が想定する時計鐘が先に紹介したロングケース・クロックの時計鐘であることは明らかです。続いて作者は読者に音響装置の作り方を提示します。作者は4本の金属棒を叩いて音を発生する機構を提示します。ソ、ド、レ、ミの音に分けた4本を用意し、それぞれ順番通りに音を発生させるよう指示します。図中「16」と書かれたシリンダーが回転し、4本の金属棒を「ウェストミンスター鐘」の通りに叩いて音を発生させます。
少年達の手持ちの知識や工具で作成できる程簡素な構造であったようです。さて、実際かどうか確認できていないものの、1930年代から「ミュージックチャイム」を制作していた企業もあったようです。
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先に1950年代の東京の音響メディアについて確認しましょう。
 1940年代を通し、東京府各自治体は街頭サイレンを設置していました。これは街頭時報と防空警報を兼ねたもので、それ以外も国民精神総動員運動の一環で国家慶祝行事や天皇家の記念日にサイレンを吹鳴していました。1945年の敗戦で防空警報の役割が無くなり、東京の街頭サイレンは時報吹鳴機能のみになります。一方、街頭サイレンに代わる音響メディアとして1950年にYAMAHAがミュージックサイレンを開発し、銀座のYAMAHA本社に同装置が設置されます。また、森永時計塔に黛敏郎作曲の時報鐘が設置され、1950年代の東京は音楽時報が台頭し始めた時期と言えます。しかし、鐘の鳴り方に音楽性を持たせた時計鐘は1930年代から既に設置されていました。東京駅前の山田耕筰による時計鐘や早稲田大学等に既に設置されており、1950年代にいきなり始まったものでもありません。
 「サイレンから音楽へ」のムーブメントは1950年代前半の官公庁、公民館、オフィスで始まっていました。その音楽が「ウェストミンスター・チャイム」です。
しかし、「ミュージックチャイム」の登場が学校や企業に「ウェストミンスター・チャイム」を波及させたわけではありません。まず、オルゴールによる「ウェストミンスター・チャイム」が先んじます。
1945年に日本が無条件降伏後、新制学校制度が始まります。新制学校の始業終業合図として既往のベルやブザーに代わり、オルゴール装置が注目されます。
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『毎日新聞』1954.04.12 「月島第二小に併設-明石小にチャイム・オルゴール設える」
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『毎日新聞』1954.05.22 東京朝刊 「雑記帳:明大の塔から校歌のオルゴール(写真付)」
既往の文献によると敗戦の記憶を想起させるベルやブザーを排除する意図があったともいわれていますが、戦前から時計鐘としての「ウェストミンスター・チャイム」の普及をうかがい知ることもできます。さて、学校や企業の始業終業合図にオルゴール*3が用意された1954年、和光時計塔も「ウェストミンスター・チャイム」を採用します。ベルやブザーに代わる合図としての「ウェストミンスター・チャイム」はほぼ同時期に爆発的に波及します。それを後押ししたのがオルゴールであり、「ミュージックチャイム」でもあります。音楽合図機械市場が形成されていたと言い換えることも可能です。
「ミュージックチャイム」は中小メーカを組み込みで大手メーカが販売する場合もあり、
・ナショナル/Victor/日本コロムビア⇒マジマ
・東芝/光星舎
後発組として
・SEIKO/鯉城時計製作所
の生産チャネルがあったようです。また、意欲的に生産するメーカとして東京の太平機器もありました。太平機器の「ミュージックチャイム」は「TAIHEI MUSIC CHIME」のブランド名で全国に販売網を持っていたことも分かっています。
さて、この「ミュージックチャイム」は1音1鐘のため、複雑な曲を演奏するには不向きでした。特にナショナルは「オルゴールメロディチャイム」として音響装置組み込みの音楽テープを販売します。これが、現在、JR東日本の箱根ヶ崎駅や那須塩原駅で利用されている発車メロディーの音源です。意外な通底がある。
メーカや「ミュージックチャイム」装置の型番をまとめたリストなど、トリヴィアルな内容は『「ウェストミンスター・チャイム」の音響誌 -学校のチャイムの波及史的試論-』に追記するのでお楽しみください。
大手メーカの販売チャネルや学校設備基準が後押しし、学校のチャイムは技術的波及が進みます。また、企業も消防法に適合した機器に組み込まれた「ウェストミンスター・チャイム」が広がっていきました。ところが、「ミュージックチャイム」装置はその後のFM音源やPCM音源に置き換えられ、省みられることはありませんでした。

それが再評価されるのが昭和レトロニズムの勃興を待たねばなりません。
オークションサイトでマニアにより高値で取引されるようになります。

今回はここまでです。「ウェストミンスター・チャイム」は不思議なチャイムで、なぜここまで波及したのか、今回は法律と技術に関して若干の議論をしました。それ以外はぜひとも拙著をご参照ください*4

*1:参考として文部科学省,2014,『中学校施設整備指針(平成26年7月)』,「第8章設備設計 第4情報通信設備」, https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/07/25/1350225_05_5.pdf (引用日2021/1/9) その他の学校も設備設計の章は第4に該当指針がある

*2:www.melonbooks.co.jp

*3:戦前の時計鐘もオルゴールは格納されていた。特に服部時計がたけており、「服部の音時計」とも言われた。主な楽曲は「君が代」「軍艦マーチ」「うさぎとかめ」等。

*4:www.melonbooks.co.jp

いわゆる「永楽音源」の実際

これまで永楽電気製の放送装置に組み込まれる場合の多かったため、「永楽電気」製と思われてきた、主に童謡をアレンジしたメロディー群のマスター音源を縁あって入手しました。
既往商品の組み込みではないか?との指摘は以前よりありましたが*1、今回の発掘によって、このメロディー群が「永楽電気」製ではなく「National」製である可能性が高まりました。
本記事は、これまで「永楽電気」製と思われたメロディー群の実際について報告します。

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【追記と修正あり】「学校のチャイム」、誰が作ったの?

 今回の記事はトリビアルな内容です。「学校のチャイム」として知られる「ウェストミンスター鐘」について語ります。
 「学校のチャイム」は現在、放送装置に組み込まれたPCM音源の再生が主流です。一方、1950年代は「ミュージックチャイム」装置と呼ばれる金属打鐘式のチャイム装置が一般的でした。1980年代後半にTOAやナショナル等のオフィス向け音響装置メーカーがPCM組み込みの装置やメロディカード装置を開発したことでPCM化が進みました。なお、現在でも「ミュージックチャイム」装置を利用するオフィスや学校もあるようです。
 先日、中止になった第98回コミックマーケット向けに『「ウェストミンスター鐘」の音響誌』を出したのですが、
www.melonbooks.co.jp
 そこでイギリスのビッグベンの時計鐘がヨーロッパの時計産業と国際的時計市場の中で時計鐘として定着した「欧米列強編」と、20世紀初頭の日本に伝来し、1950年代の日本でサイレンに代わる時報装置として爆発的に波及した「戦後日本編」の2編構成で波及過程を叙述しました。
本記事の結論を先取りすると、日本のオフィスや学校に「ウェストミンスター鐘」を定着させた「ミュージックチャイム」装置は1930年代に既に原型があり、誰か一人の発明者に還元しえません。

 「学校のチャイム」と呼ばれる「ウェストミンスター鐘」に関する記事をウェブで散策すると、発明家の石本邦雄さんに端緒を求める内容の記事にしばしば出会います。以下はその一例です。
『産経こどもニュース』, 2013年4月25日,「イギリスの時計塔とと学校チャイムの不思議な物語」
https://www.sankeikids.com/doc_view.php?view_id=693
根源を探ると2007年3月26日 (月) 07:27編集以降のWikipedia記事「チャイム」が発端のようです。それ以前かつWikipediaの同記事以外に個人に還元した記事はウェブアーカイブされていないのか、見つけられませんでした。
ja.wikipedia.org

 一方、『朝日新聞』2007 年 10 月 01 日 「(疑問解決モンジロー)チャイム、なぜキーンコーン?」は石本邦雄さん以外に井上尚美さんと真島福子・宏さんの3人の名前を発案者に挙げています。井上さんと真島さんはほぼ同時期の1954年に「学校のチャイム」を打鐘する「ミュージックチャイム」装置*1を考案、あるいは発明しています。一方の石本さんは先述の『産経こどもニュース』では1963年に「発明」したと述べています。石本さんはちょっと出遅れたわけです。ご自身の他の証言と突き合わせると*2

1957年には組織を改め、株式会社鯉城時計製作所を設立。そして、1963年、現在の工場がある五日市に移転。同社の受託業務は木工から板金へと徐々に移行し、ミュージックチャイムの製作も始まった。

とあり、1963年頃に製造開始が始まったのは確かなようです。しかし、『産経こどもニュース』は

20才になった昭和38(1963)年頃、時計メーカーに相談されて「時報チャイム設備」を制作した時に、そのメロディーが鳴るようにしたところ、のちに全国の学校へと広がったのです。

と記載しています。Wikipediaの記事は現在も石本さんの功績と記述しています。産経新聞の書き手もWikipediaを参考にしたんでしょうか。
また、ナイーブに採用した下記のサイトもあります。精工舎は戦前からオルゴール時計*3の生産を得意とし、戦後も「ウェストミンスター鐘」をラインナップにしたオルゴール装置を販売しています。内田洋行はライバル企業との販売競争がある。Victorや日本コロムビアのような大手レーベルは、ミュージックチャイム装置を組み込む、文部省基準をクリアした学校放送システムを一式で揃えていました。大手企業に還元する英雄論ではありませんが、各企業の持つ文脈が複合した先に石本さんのミュージックチャイムが見いだされた。
sites.google.com
 間違う間違わない以前の歴史叙述への態度が問題です。史料批判ができないマニアによる叙述の危うさや、歴史修正主義との関係はいずれ何かの機会で書きたいところです。例えば『サブカルチャーと歴史修正主義』等、マニアの予防線は批判されているわけですから、アンテナの感度の低さはもはや許されません。

 さて、こうした「神話化」言説は珍しいものでもありません*4。販売網が広がり、各地でベルやブザーからミュージックチャイムの交換があったのは事実かもしれませんが、過去の証言で想定する「日本全国への波及」と言うのは困難です。
 しかし、これは石本さんの功績を無にするものとは言えません。「大戦と音響メディア」というもっと大きな文脈でとらえる必要があります。ベル、ブザー、サイレン等の戦前から使われてきた音響メディアの形成する音に過去の辛苦を感受し、それを克服しようとした技術者による運動と言い換えられます。それだけ、音と過去の悲惨な記憶の結びつきは20年弱経ても強かった。

 では、井上さんか真島さんのどちらかが先駆者?と追及したくなりますが、先に1950年代の東京の音響メディアについて確認しましょう。
 1940年代を通し、東京府各自治体は街頭サイレンを設置していました。これは街頭時報と防空警報を兼ねたもので、それ以外も国民精神総動員運動の一環で国家慶祝行事や天皇家の記念日にサイレンを吹鳴していました。1945年の敗戦で防空警報の役割が無くなり、東京の街頭サイレンは時報吹鳴機能のみになります。一方、街頭サイレンに代わる音響メディアとして1950年にYAMAHAがミュージックサイレンを開発し、銀座のYAMAHA本社に同装置が設置されます。また、森永時計塔に黛敏郎作曲の時報鐘が設置され、1950年代の東京は音楽時報が台頭し始めた時期と言えます。しかし、鐘の鳴り方に音楽性を持たせた時計鐘は1930年代から既に設置されていました。東京駅前の山田耕筰による時計鐘や早稲田大学等に既に設置されており、1950年代にいきなり始まったものでもありません。
 「サイレンから音楽へ」のムーブメントは1950年代前半の官公庁、公民館、オフィスで始まっていました。その音楽が「ウェストミンスター鐘」です。学校鐘の交換ムーブメントはその一環と言えます。東京の公立学校は1953年頃から既にサイレンやベルから「ウェストミンスター鐘」の交換が始まっています*5。1950年代の東京に見られた「サイレンから音楽へ」のムーブメントを支えたのが前述の「ミュージックチャイム」装置ですが、1933年に本間清人さんが執筆された『家庭用実用品の作り方』の「ウェストミンスター寺院のチャイム」に既に原型が見られます。この著作は『少年技師ハンドブック』シリーズの一環で、同シリーズの書籍は1930年代から40年代にかけての日本のテックギークの少年たちにとって一般的な教科書だったと言われています。同記事や1950年代の「サイレンから音楽へ」ムーブメントを考慮すると、井上さんや真島さんがイチから考案、開発したとは考えにくい。
 誰か一人の発明者を見つけ出すより、「ウェストミンスター鐘」が1950年代に持っていた表象や文脈を考えるほうが有意義です。
 
 今回はここまで。深く掘り下げると「チャイム」にまつわる文化史やメディア史の論点が出てきますが、それは小冊をお読みください。

*1:マジマ社の商品名は「ミュージカルチャイム」

*2:https://www.nc-net.or.jp/knowledge/mag/trajectory/45.html

*3:「服部の音時計」と言われた。

*4:一方の真島さんも他の新聞記事の取材に対し、自らが「ミュージカルチャイム」の発明者であると述べている。後述するが、「ミュージカルチャイム」装置は1930年代に原型が登場しているし、1954年、「ミュージックチャイム」は光星舎等によって販売されていた。

*5:『毎日新聞』1954.04.12「月島第二小に併設-明石小にチャイム・オルゴール設える」