過度に適度で遵当な

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「宇宙戦艦ヤマト2199」劇伴音楽判別に伴う分類

「宇宙戦艦ヤマト2199」劇伴音楽判別に伴い、個人で使っている用語です。実際の製作現場では新曲を指して「Nナンバー」としているようですが、音楽作曲の観点から「踏襲」や「独自」であるかに焦点をあて、分類いたしました。
「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」に関しては特殊な曲も多くあることから一覧から省いています。そちらに関しては別集計で表出しますのでよろしくお願い致します。

フォローナンバー
いままでの「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの劇伴音楽やシングル等で登場した音楽を総称したくくり。
踏襲することで、「宇宙戦艦ヤマト2199」と初代「宇宙戦艦ヤマト」の根本にある世界観は同じであると表現しています。
・踏襲曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」に登場した劇伴をそのまま用いている「2199」劇伴
「無限に広がる大宇宙」
「元祖ヤマトのテーマ」
「地球を飛び立つヤマト」
「探索機発進」
「ヤマトのボレロ」
「哀しみのヤマト」
「哀しみのスカーフ」
「サスペンスA」
「敵宇宙船の出撃」
「美しい大海を渡る」
「艦隊集結」
「デスラー登場」
「月のクレーター」
「空母の整列」
「哀しみ(沖田の死)」
など
・踏襲派生曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」に登場した劇伴から派生した「2199」劇伴
「無限に広がる大宇宙(Voice)」
「ハーモニカ(真赤なスカーフ)」
「真赤なスカーフBG」

・援用曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」以外のシリーズなどで登場した音楽による「2199」劇伴
 これらの音楽を援用することで、「宇宙戦艦ヤマト」サーガにそった世界観を演出することに成功しています。
「イスカンダルの女(サーシャ)」
「デスラー襲撃」
「白色彗星(Disco)」
「大いなる愛(導く魂)」
・援用派生曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」以外のシリーズなどで登場した劇伴から派生した「2199」劇伴
援用するだけではなく、21世紀の音楽場面に相応しい音楽にアップデートし、「宇宙戦艦ヤマト2199」の即時性を表現しています。
「コスモタイガー(Wan Dah Bah)」

オリジナルナンバー
「宇宙戦艦ヤマト2199」オリジナルの劇伴音楽と、その派生曲を総称したくくりです。製作現場では「Nナンバー」と言われていたそれになります。
・独自曲
「宇宙戦艦ヤマト2199」で独自に登場した劇伴音楽
「宇宙戦艦ヤマト2199」が単なる「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクではないことを表現しています。上記カテゴリーにあてはまると思しき音楽であっても、「宇宙戦艦ヤマト2199」の世界観を強く反映したと思しき曲はこちらにピックアップしています。
「ヤマト前進」
「ファースト・コンタクト」
「ヤマト渦中へ」
「YRAラジオヤマトのテーマ」
「動揺(サスペンス)」
「銀河航路」
「独裁者の苦悩」
「大志」
「永遠に讃えよ我が光」
「魔女はささやく」
「ガミラス次元潜行艇」
「時計仕掛けの虜囚」
「ニュース映画のテーマ」
「第二バレラス」
「帝都防衛戦」
「崩れゆく総統府~希望」
「虚空の邂逅」
「孤高のデスラー」
「地球の緑の丘 旅立ち~帰還、そして明日への希望」
など
※スコア自体は踏襲しているが、テーマを強く反映した曲であるので独自曲に加えました。
・独自派生曲
独自曲から派生した劇伴音楽
「独裁者の苦悩(弦)」
「大志(若者よ大志を抱け)」
「ガミラス次元潜行艇(ティンパニ)」
「帝都防衛戦」
「眠れる想い」
「碧水晶」
など

このうち初代派生曲と踏襲派生曲に関しては実質「2199」独自の劇伴音楽だと考えられますが、分類上わけています。また、これはあくまで作曲上の分類です。使用された場面毎でわければ、踏襲曲・独自曲の括りはまた別の観点から分類可能だとも考えられます。
なおこれは未完成の表です。場合によっては新たな定義や定義位置の移動があるかもしれません。ご了承下さい。

和食デニーズ

和食デニーズというデニーズがかつて営業していたチェーンがありました。詳しい記憶はだいぶ薄れてしまいましたが、いわゆる定食メニューをちょっとおしゃれにした感じだった覚えがあります。ここはご飯はおかわり自由、確か味噌汁もそうであったような?住んでいるところが田舎ですので、そういった食べ放題が標準であるのはずいぶんと重宝しました。田舎は都会に比べて食べる量が多い。

いまも営業しているタイプのデニーズの隣に店舗を開いていたと思いますが、どうもこちらの方はあまりお客のいりは良くなかった。閉鎖になっても15年近く経つのでしょうか。あまりお客の入りもよくありませんでしたので、閉鎖になったときは「やっぱりなあ」とついつい思ってしまいました。結構残念だった。

普通のファミレスだと、ご飯が西洋式の皿で来るので食べにくい。とにかく食べにくい。高級レストランでもないのでガツガツ食べますが、あれは本当にどうにかなりませんか。食洗機で統一しているから、別に皿洗いの手間を増やせないからなのかもしれませんが。

それから10年ほどして定食系チェーンのやよい軒が東京に現れました。同じようにご飯味噌汁お茶おかわり自由。都心部なら需要があったのか。それとも早すぎたのか。当時、イケると思ったんだがなあ。

秋が来た。

暦の上では秋が来ました、と言われてもそれは旧暦ですから1ヶ月早いわけで、今頃が本当の暦の上では秋が来ているはずなのです。ところがそれであっても一歩外に出ればセミの大合唱で家の中は冷房の必要は無くなったとは言えゴキブリが闊歩している。昔はよかった。


この昔はよかった。あくまで全てが主観であって、ここで文を打ち切ってはいけません。あくまで「昔はよかった気がする」としなければなりません。もしかしたらセミは9月下旬まで啼いていたかも知れない。意識していないだけで。ゴキブリは…、これは冬でなければ、成虫になっていない状態なら年中見ることが出来ますよね。
日本では嫌われ者のゴキブリも、中国大陸やイタリア半島にいけば養殖のゴキブリがあるほど一般化した食材です。そもそも現代の昆虫食を毛嫌いする風潮が、ここ半世紀で出来たものです。食糧事情が急上昇する以前の日本では、東京や大阪などの都市部でもバッタやカブトくらいは庶民の食卓にあがることはよくあることでありました。そして21世紀のいまでは、昆虫食は国連が推奨する新しいタンパク質供給源として注目されています。飼料からのタンパク質合成性能がほ乳類に比べて圧倒的に優れているとかか。昔は合理的だった。


さて、大学院の合格が出そろってようやく進路が決まりました。理転受験でも突破してしまい、本当によかったという感想でいっぱいです。旧帝大の学部に通う弟からは「学歴ロンダリング野郎」とTwitterで陰口をたたかれておりますが、ともあれ結果は結果として受け止めていただいきたいものです。決して、お兄ちゃんが行きたかった大学に合格した弟に対するひがみではありません。ないったらないんです。あるわけないだろ。
ところが、卒業単位まで大幅というわけではありませんが、かなり不足している。いわゆるフル単でなければ卒業も怪しい。端的に言います。“ヤバい”
そういえば第一志望の受験でも、解答用紙の小問番号を書き間違える、という試験担当官曰く「前代未聞、初めての」事例をやらかしてしまったので、いや、こういう妄想は気持ちを苦しめるだけですのでやめておきます。やめさせてください。


1960年代に公開された映画「大学の若大将」をご覧になった方はどれほどおられるでしょうか。ご覧になったことのない方のために捕捉するとすれば、どう考えても知的教養もない、分数の計算すら出来そうにない若大将が、大学で女をはべらせ男と乱痴気騒ぎ、ラストに代々続く店をハワイ風のバーベキュー屋?に改築するというお話です。滅茶苦茶なお話です。驚くべきことにこれが当時売れに売れた。一方現実世界の大学に目をやると、1960年代から70年代にかけては、今はもう日本史として語られている学生運動の時代でもあった。ゲバ棒マスクヘルメットという学生運動スタイル(現代なら「コスプレ」として語られそうですね)に身を包み、理論的枠組みなどクソ喰らえでも、大学生が唯々怪気炎を上げ続けていた時代です。それが当たり前であり、そうでない人間はよほどの体育会系か「ノンポリ」学生であった。映画は良いとして、現実世界の学生運動に参加するよ大学生が講義に地道に出席して試験を受けていたとはとうてい考えられませんよね?
だとしたら落第に落第を重ね、この時代の大学卒の肩書きをもつ人間はほとんどいないはずでしょう。ところが、結果は文部科学省の各統計をご覧下さい。

言いたいことはひとつです。

昔はよかった。

未完成果

夏に出せれば、と思っていたアニメ劇伴のコピー誌が、結局6月になって内容に納得がいかず、全面書き直ししていたのですが、なんとか冬に出せそうな見込みが立ちました。
冬こそ出せたら良いですね。

題「宇宙戦艦ヤマトの音楽がつくる世界」
43頁で頒布価格は150円(予定)。

アニメ劇伴は卒業論文の主題に大きく関わるものでしたのでコツコツと集めてきた資料がありますから、それを使って、まずは地上波の初代宇宙戦艦ヤマトと劇場版宇宙戦艦ヤマトの劇伴について第1話から全使用箇所を網羅し、宇宙戦艦ヤマト2(さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち)で再録されたナンバー、交響組曲宇宙戦艦ヤマトの意義とおおまかな寸評についてやります。まだまだ加筆修正の要を認む内容ですし、はっきり言ってこんな中身で金を取れるとは思えませんので、もしかしたら冬も間に合わないかなあとも考えております。

さらば+2、新たなる旅立ち+永遠に、3、完結編、復活篇、2199までやりたい志もありますが、これを作れるまでに4年かかっておりますので、いつになることやら…。

印象

劇伴音楽はそれだけでカットを象徴する物語を持っています。
純音楽の側からは低く見られることもある劇伴音楽です。しかし、自分のような芸術とは程遠い世界にいる人間からすると、物語をわずかな時間で表現するその構成は、わかりやすく受け入れやすい。

往年のアニメ映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」には後にカットされたシーンがあります。ヤマトが放射能除去装置を携えて地球に帰還し、地下都市のなかで待ちわびた人々の歓喜とともに迎えられる…というカットです。ファンの間では、このシーンを含めて削除されたカットを見ることのできるフィルムを「ゼロ号フィルム」とも呼んでいるそうですが、今では東北新社に残るマスターフィルムか絶版になった英語吹き替え版でしか見る方法はないそうです。
これはその後テレビ放映された「宇宙戦艦ヤマト2」の第3話にそのまま流用されているのですが、受ける感慨が全く違う。「さらば」では台詞もなにもなく、ただ「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」に収録されている「回想」という曲が流れるのみ、いかにも過去の回想という感を強くしております。ところが、「2」では、「夕日に眠るヤマト」の勇ましい音楽とともに、「ヤマト!ヤマト!」というガヤが挿入されている。


先に「さらば」で述べたこのカットは、全く台詞がないことで、劇伴音楽の持つ物語が強く浮き彫りにされています。ここで使われている「回想」という曲は、地球生還を前にして永遠の眠りにつこうとしている沖田艦長が、ガミラスとの戦争で亡くなった家族の写真と目の前に広がる地球を見つめ、「地球、か…。何もかも、みな懐かしい…」という名台詞とともに、使命を果たし終える…、という初代「宇宙戦艦ヤマト」屈指の名場面を象徴しています。常に物語の根底で流れている悲壮感とどこか苦味がつきまとう喜び、という私たちを魅了してやまない宇宙戦艦ヤマトのエッセンスが全てつまった音楽と言っても過言ではありません。

そういう曲が生み出す魔術は、映像をより一層魅力的にしてくれます。年月を経てから初めてこのカットを五感で堪能したとき、恥ずかしいことに、小学生の頃ワクワクしながら見ていたあの思い出がよみがえり、懐かしさと、これがヤマトだ、という心の奥底で残っていたしこりが消え去って満足した気持ちに陥りました。物好きの勘違いかもしれませんが、初代「宇宙戦艦ヤマト」のヤマト地球生還のカットと「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」におけるヤマト地下都市生還のカットは、日本のアニメーション史上でも屈指の名場面であると思っております。

ところが、「2」ではそのマジックが消去されております。劇伴音楽や人々の歓声で喜びの感情を強調しすぎたおかげか、かえって「さらば」で持っていた味を殺してしまっている。ここでは、恐らく地下都市で待ちわびた人々の気持ちを代弁した劇伴選択になっているのでしょう。最後の希望である宇宙戦艦ヤマトがとうとう生還した!苦しみ抜いた時期は終わり、これで地球は救われた…。ヤマト!ヤマト!ヤマト!…

最初に見たのは「2」であったがために、視点を地下都市の人々からしか持ちえませんでした。のカットのことはさほどにも捉えていなかった記憶があります。しかし、「さらば」のカットではどうか。回想するのは、ガミラスと戦い、ガミラスに滅びを与えてしまった宇宙戦艦ヤマトの物語です。決して地球での艱難辛苦ではありません。その物語もまた語られてしかるべきでしょう。しかし、求めていた物語はむしろ後者のものでした。「2」で抱いた、重要なカットであるにも関わらずに気にもとめなかったことの源泉はそこにあるのかもしれません。求めていた物語と提示された物語の齟齬が生んだ、相互の行き違いと言えるでしょう。

いやはや、本当に映像における音楽や音響表現の世界は奥深いものです。ひとつとるだけでここまで抱く印象は異なってくる。60秒のカットでこうなのですから、20分のテレビ放映、そして2時間にわたる劇場版で行われる音楽や音響から提示される物語の構成がどんなに大変なことか…。考えるだけでも苦労がしのばれます。






以上のようにオタクはどうでも良い印象をつらつらと語りたがる。悪い習性です。こういうしょうもないことをつらつらと書き続けることよりも、もっと生産的なことにリソースを注がないといけませんね。

企画

昨今はゆるキャラがブームである。
かつて似たような状況がなかったかしら?と思いつつも思い当たる節がなかなかないだけに、どうやらそういうことは無かったのだろう。流行のちからは恐ろしい。テレビ番組を見ていたら有名なゆるキャラを、毎日一度は必ず目にすることになるだろう。ゆるキャラはいま飽和状態に陥っているように見える。食傷気味とも言えようか。

ところで、JRの飯田橋駅を利用すると鯨を模したような駅のオリジナルキャラクターに出会うことが多い。旅行企画パンフレットの紹介は必ず彼が行っているし、みどりの窓口や改札口においても、彼が敬礼しているお姿を拝見することができる。どうやら、駅の紹介によると「いいだべい」というらしい。JR飯田橋駅周辺の歴史にちなんでいるようで、ちかくの小学校に通う学童と勤務する美術教員の作成した、なんともかわいらしいお姿をしている。不思議なことに、もう一人?いるキャラクターの「いーちゃん」にはなかなかお目にかかれない。それほど、いいだべいは駅の顔として相応しい働きをしている。

ほどなくしてJR飯田橋駅を通りがかると、3月ということもあり、定期券販売の混雑に対する告知があった。拝読すると、「券売機械で定期券を購入すると、レシート持参で駅前にあるコーヒーチェーンで300円以下のドリンクが無料」というものであった。なかなか愉快な企画である。先入観もあろうが、半公営企業のJRが駅前近隣の異業種店舗とタイアップし、どちらかが身銭を切ってこのようなちょっとした購買意欲を刺激するイベントを行うとは、飯田橋駅も思いきったことをするものだと驚嘆してしまった。
確かに「よくあることだ」との意見もあるだろうが、このお堅い世界でその「一般」を実現するのはよほど苦労や乗り越えるべき壁があったのではないだろうか。自分もこの駅で更新しようと思ったが、残念ながらPASMO+私鉄路線のみの定期券であったために発行は出来なかった。ひょっとしてタイアップ先のコーヒーチェーンはJR資本であったのだろうか。
好評だったのだろう、このあとしばらくしてから、JR東京駅で似たようなタイアップ企画が行われていた。内容の記憶はさだかではないが、恐らくは前記JR飯田橋駅での企画が予想以上にJRの内部で大きな反響を起こしたらしい。そういえばきょうもJR水道橋駅で特急券の一定額以上事前購入でオリジナルグッズプレゼント、というポスターを見かけた気がする。


都心の駅とはいえ快速は停まらない小さな駅で、このように意欲的な企画が駅係員の中から発案され、それを実行にうつす管理職の姿は参考にするべきものが多い。活動的で風通しのよい組織からは妙案が次々に生まれてくるものだ。もしや、外には出てこない、目に見えぬまでも、内部では様々な改善策が生まれ、そして実行されているのかもしれない。だがしかし、このアイデアが他の多くの駅で実行されたとしたらどうだろうか。飯田橋駅は一般にはあまりメジャーな駅とは言えない。そのうちに埋没してしまい、意味を抹消される未来もあるやもしれぬ。東京駅や水道橋駅でみたポスターは飯田橋駅の姿勢に東京各地の駅で追随する動きをまさしく体現している。


組織の真価が発揮されるべき場合はまさしくその時であろう。例えば新宿駅や上野駅、品川駅、渋谷駅などで先の例にならった企画が実行にうつされたとき、飯田橋駅のスタッフは何を考え、どんな意を創作するだろうか。もしかしたら、先にあげた案以上に“愉快”で“斬新”なアイデアを造り上げるかもしれない。それだけの力はあるのではないか。

いま、JR飯田橋駅は東京でいちばん熱い駅である。

新歓

大学の新歓期には幽霊がうろついている。男の欲望という名の幽霊が。

共産党宣言の冒頭を真似しないまでも、文系大学新歓期において男たちがむき出しにする欲望は、マルクスが述べた資本家の欲望に限りなく近いものがある。自分の欲望に誠実すぎているのか、理知が束ねる学府に通っていることをもはや忘れてしまったかのごとく忠実です。一種の祭ととらえているのでしょうか。しかし一言で済まされないレベルの話を多々耳にすることもある。何が言いたいかというと、要するに昨今話題の某テニサー事件です。


男子大学生が新歓に連れ込んだ1年生の女子学生を集団で乱暴する、といえばすぐに思い浮かぶのはスーパーフリー事件でしょうが、みなさんもご存じのとおり、おおもとになったサークルは例の大学にあります。事件発覚後に取り潰しになったとは聞きますが、それ以外にも輪姦に励んでいたサークルで表ざたにならなかったものでは、いまだに存続しているのもあります。加えてあの大学では生協などの過激派左翼を追い出すほうに当時はリソースを注いでいたので、そういった側へはなかなか手が回らなかったのも現実としてあるのではないだろうか。そのツケをいま支払っているようです。しかしイメージしか戦略的な売り物がない大学ですから、志望校を決めるこの時期にやらかしたとなると、これからが大変でしょう。これからの大学の対応は見物必須です。

ところで、慶應大学医学部や東京大学へ進学しテニサーに加入している知人たちと時たまあうと、「このあいだは何人とヤったハメた」だの話題が際限となく出てくる。それを聞くたびにしかめ面にならざるを得ませんが、どこに行こうともこの手のサークルの一つや二つは必ず存在している。今更新歓アドバイスなどをのたまうわけではなく、あの手のサークルはなんとしても女の子を呼び込むべく様々な工夫をこらしているものです。それはまるで虫を狙うウツボカズラのごとく。そして嵌まれば最後。いただかれる運命が待っている。


確かにそういう行為に手を染めている男は厳しく断罪されてしかるべきです。まさに男の恥さらしである。だけれども、酷かもしれませんが、こういう現実があることを知ったうえで、自分自身を防衛することを女の側も頭に入れておかないといけないでしょう。全部が全部とはいえませんが、こういう痴的なことを考える男は自分の想像以上に生息していて、そいつらは徒党を組んでいる。どこであなたを狙っているかはわかりません。頼りになるのはあなたの勘のみです。心細くもなるでしょう。ではどこに行けばよいのか。性欲を柔軟?にあやつり、女性を見かけでもいいから尊重し、おとなしい男性がそこそこ集まっているサークル。そんなサークルはないものか。





と考えてみると実は女子大生からは圧倒的に不人気であるオタクサークルが実はいちばん安全という話になってしまいました。どうにも腑に落ちることのない、妙な話です。