過度に適度で遵当な

在日日本人で日本初の民間天皇

「オータム」を探して ①

奥多摩町は現在、朝7時と夕18時に地域防災行政無線を利用してミュージックチャイムを流しています。
その曲名は「オータム(autumn=秋)」ということ以外、ファンコミュニティでは一切不明なまま現在に至っています。それは奥多摩町でも同様のようで、担当者の方曰く「当時の資料が一切残っていないので、作詞者や作曲者を含めて詳細は不明である。」とのご回答をいただきました。
しかし、現に音楽として「ある」以上、そして行政が採用している以上、なんらかの経緯を持っていることは間違いないはずです。なんだこの曲、ということで、正体をさぐるべく奥多摩町の行政資料や郷土資料を調査してきました。

結論
…アジア太平洋戦争とその戦災に関係のある音楽ではないか、以外、わかりませんでした

まず、この「オータム」という曲が初めて資料に登場したのは、
奥多摩町,(1995年),「愛宕山に「平和の鐘」を建立」,『町報おくたま』,No.489,pp.2
です。
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詳しくはこれをご覧いただきたいのですが、1995年に町制40周年と敗戦50年を祈念して建立した「平和の鐘」に流した音楽として「オータム」が奥多摩町の資料に初登場します。ところが、この記事には詳しい情報がまったく載っていません。鳴動時間が午前7時と午後17時以外手がかりは不明です。しかし、「平和の鐘」として、故木村量平氏(詳細は後述)ゆかりのものとしてこれが建造されている以上、そのどちらかに献奏された音楽である、と推察することは可能です。その後、地域防災行政無線の稼働後にそちらへ移行したようで、以下の記事にその言及がありました。左下をお読みください。

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では、奥多摩町と戦争、あるいは木村量平氏について資料の調査へと方向を定めてみましょう。
ところで、youtubeに投稿された動画から、以下の気になる記述を見つけました。

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「平和の鐘」が戦争顕彰を目的としている、ということで、奥多摩町と戦争に関係する記述を探すと、青梅市史と奥多摩町史に以下のような記述がありました。
青梅市史は、
「二月二十五日(昭和20年)、P51戦闘機の編隊が市内上空を通過した際、そのうちの一機が突如、東青梅駅に停車中の電車を銃撃し、その一弾が氷川村(現奥多摩町)の在住の都立第九高女(現都立多摩高校)の二年生に命中し即死させるという悲惨事がおこっている。」
奥多摩町史は、
「勤労動員学徒トシテ、通勤ノ途中、電車内ニ於テ敵機ノ銃撃ヲ受ケ、両下腿複雑骨折ノタメ死亡ス」、
と、当時氷川地区に居住していた都立第九高等女学校に通う女学生が、勤労奉仕のため乗車していた青梅線電車内で機銃掃射にあい、そのまま亡くなった、という事件です。奥多摩町が空襲の被害にあったのは1945年8月14日深夜に古里地区に対して行われたものが唯一で、電車に対するものはありませんでした。事実と相違*1する箇所がいくつかあるのですが、仮にこれが適切だとすれば、この事件を指しているのだと考えられます。

そこで、新聞記事から地域で戦争被害について顕彰した動きはないか調査をかけてみます。朝日新聞検索データベースから、「奥多摩町 機銃掃射」など関連するワードを検索しました。
結果は、何も引っかからず。平和の鐘に関する記事すら出てきませんでした。

さてもう片方の方針である、上記記事に登場する木村量平氏について調べてみました。この方はどのような方でしょうか。奥多摩町の氷川地区には現在も氏のご自宅が残されているのですが、町報にもある通り、現在ではすでに故人です。ご経歴を記述すると、以下にまとめることができます。
奥多摩町氷川地区に生を受け、旧制山形高等学校卒業後に東京帝国大学経済学部経済学科に進学。卒業後は生命保険会社勤務を経て満州に移住し、現地で南満州鉄道関係の職務に携わる。敗戦後はソ連の抑留を受けた後に郷土の発展に尽くした、という人物です。まさに郷土のエリートと言える方です。著述活動としては、評論等を新聞に寄稿、あるいは詩作活動を続けていており、自身の評論活動や詩作活動の記録をまとめた「奥多摩の奥から」と「続 奥多摩の奥から」を刊行しています。

その「奥多摩の奥から」と「続 奥多摩の奥から」を読むに、「オータム」に関連する作品を見つけることはできませんでした。両著作には詩作活動の集成もあるのですが、俳句あるいは短歌に関するものであり、歌詞に通じる近代詩作品の掲載はありませんでした。しかし、「続 奥多摩の奥から」は1985年初版ということもあり、その後の木村量平氏の活動で、「オータム」に該当する詩作活動をなさったことは否定できません。ただ、定型詩の作詩活動が主な方ですので、オータムの歌詞になるような散文詩を書いておられるのだろうかなあ…。

奥多摩町と戦争、木村量平氏双方の線から調査するに行き詰ってしまった感です。乗りかかった船ですから、ここで終わらせるわけにもいきません。できる限りの調査は今後も継続していきたいと思います。


今後やるべきととしては
奥多摩町政関係者への取材
…奥多摩町「平和の鐘」整備事業は、各課兼掌から推察するに、おそらく企画財政課主任の事業として進められていたと考えられます。当時の課長級職員の方から話を聞くことができれば、何かしらわかるかもしれません。
新聞資料の捜索
…朝日新聞地域版を調べてみたところ、青梅線電車機銃掃射事件の市民による顕彰グループが活動した等の記録は見つかりませんでした。調査対象を広げ、NDL等の契約データベースから他大手紙や地域紙(西多摩新聞か)の紙面調査をする必要は引き続きありそうです。
の2つが挙げられます。爾後も調査は続けていきます。

なお、ウルトラCとして3番目の
故木村量平氏に聞きに行く
もあります。
青森県には便利な土地があり、その地で死者と会話ができるそうです。これは期待ですね。

蛇足ですが、
● JASRAC歌曲検索でもこれに該当する曲はありませんでした。

いい線まで来たとは思うのですが、まだまだ道は遠そうだ。



しっかしまあ、やっても1円にも、そして1本の研究発表にもならんのだよな、これ。




最後に追記ですが、新座・鴻巣市の瀟洒曲を制作した編曲者に問い合わせたところ、個人への販売はしていない、とのことでした。残念です。

*1:男の子ではなく女学生、奥多摩町内ではなく青梅市内