過度に適度で遵当な

在日日本人

「愛の鐘」の昭和史 ① 戦後青少年問題と「愛の鐘」の普及

正午や夕方になると、町に流れる音楽。みなさんも聞き馴染みがあると思います。
あの音楽は自治体向けに開放されている地域防災行政無線を利用して流していおり、地域によっては、朝や正午、場合によっては夜にもチャイムを流すところもあるなど。また、音楽も「夕やけこやけ」だけではなく、「家路・遠き山に日が落ちて(新世界より)」「ふるさと」「七つの子」「エーデルワイス」など、多種多様なミュージックチャイムが用いられています。そうしたミュージックチャイムがいつごろから発展したのか、実際のところはよくわかっていません。
行政の言を借りると、「地域防災行政無線の試験」として説明されていることがあります。一方、自治体によっては帰宅促進あるいは時報として流していることを明記している場合もあるなど、その機能は自治体によってまちまちです。しかし、現在、自治体サイトに明記された機能別に整理すると以下の3種類に分類することができます。

① 純時報的鳴動
 …時報としか明記されていない場合
② 試験放送兼任鳴動
 …時報および試験放送の兼任が明記されている場合
③ 試験単純鳴動
 …地域防災行政無線の試験鳴動として明記されている場合

この地域防災行政無線(同報無線)は各地で整備されていますが、その由来は都市部と農村部では違う場合もあります。

農村部や地方などでは有線放送電話機能を継承して発展したものが多くあります。電電公社の家庭用回線*1の普及が遅れがちだった農村部では、こうした役所や地域内各世帯を結んだ村内・町内有線が有用だったからです。たとえば東京都奥多摩町でも20世紀の終わりまでは有線電話が活躍しており、現在の奥多摩町で整備されている地域防災行政無線の固定系と呼ばれるものは、その後継機能として整備されてきたものです。
そうした農村部では有線電話*2では時報やNHKのニュースを屋外スピーカーから聴取させることもあったことはおなじみだと思います。

さて、①~③で使用用途で整理しましたが、片方向の軸として地域防災行政無線が継承した諸元を、調査した結果をもとに整理すると3×3の分類表ができます。片方の軸は以下のA~Cです。
A 消防団サイレン
 …東京都以外の地方には消防官吏に類する行政消防組織は整備されおらず、行政管轄の地元消防団組織による消防機能が維持されてきました。実際に火事等の際にはこのサイレンを吹鳴させていたのですが、定期訓練でサイレンを流していた場合が多くありました*3
B 有線電話による時報
 …有線放送を経由してNHKや時報を流していた場合がありました。
C 愛の鐘/ミュージックサイレン?
 …戦後・独立回復にかけて都市部での青少年健全化が社会問題となり、それに合わせて地元婦人会や行政等が各地で設置したミュージックチャイムであり、それを「愛の鐘」と呼んでいました。いっぽうのミュージックサイレンは、空襲警報のサイレンを応用し、YAMAHAが戦後に開発した時報用機器を一般的にそう呼称していたものです。双方ともほぼ同時期に整備されたこと、そして時報的機能を有していたことからC分類に目される、としました*4

当初、この「愛の鐘」の存在を知るまでは、一般的に言われている「地域防災行政無線の夕焼チャイムは単なる試験鳴動から始まった」と考えておりました。そして起源は地方の有線放送で流していたチャイムであり*5、都市部はそれを配慮して夕方にのみ流すようになったのだろう、と。しかし、それはどうやら異なるようでした。この地域防災行政無線の定時放送は上記3つを包含して成立した異種同根の類で、それが地域防災行政無線の管轄省庁である郵政省あるいは総務省の政策を通して全国に広まっていったことがわかってきました。そのうえ、都市部の夕焼け放送は「愛の鐘」を一部継承し機能している、ということも。

今回の第1回、はこの「愛の鐘」が誕生、そして地域団体とメディアの旗振りによって全国に定着していった過程をものしたいと思います。

① 社会的背景
昭和20年から35年にかけて、凶悪犯罪とよばれる「強盗」「殺人」「強姦」「放火」の4者によって検挙される少年の数は、現在の10倍近くあったことが言われています*6。そうした青少年あるいは未成年の成長への悪影響を心配したと同時に、当時の都市商業の問題もありました。
昭和戦後、いわゆる娯楽産業に対する営業規制などの法令あるいは条例による規制は、ほとんど行われてきませんでした。現在とは異なり、未成年を相手にした終夜営業も都市の盛り場などでは広く行われていたのです。例えば中学生あるいは高校生がテッペンまわるまで、パチンコ屋や映画館、喫茶店*7に出入りするなど、よく見られたと言われています*8。そうした状況を問題視する組織や団体ももちろん存在し、とりわけ民法などでそうした青少年あるいは未成年の保護的地位にいる婦人がそれを問題視していました。また、全国紙の中にもこうした運動に賛同を示すものもありました。現在とは異なり、行政による規制が行き届いていなかった都市部の盛り場と、適切な関係を模索することが求められていたわけです。それをふまえ、青少年あるいは未成年に対する社会的保護が要請されていた時期でもあったと言えます*9
ざっくりと時代背景を述べてきましたが、ある都市を拠点とする婦人会から、音楽で青少年に時間を告げ、家へ帰るよう説得する、そうしたアイデアが出されました。1954年、当時日本で最も栄えていた商業都市は大阪市での話です。

② 「みおつくしの鐘」の誕生
1954年、青少年問題に関心のあった大阪市婦人団体協議会では、青少年・未成年の「夜遊び」への対応策として、「夜半の22時にチャイムを流す」という案が出されました。この案のもと、1954年10月に大阪市婦人団体協議会と大阪市青少年問題協議会大阪社会教育委員会は合同で「青少年に帰宅の時を知らせる鐘」委員会を設置し、この具体化に取り組んでいきます。200万円(当時)の建設費を寄付やカンパによってまかない、中之島にある大阪市役所の屋上に設置されることとなりました*10。5月5日の子供の日にあわせて除幕式が行われ、午後10時に「ウェストミンスター・メロディー」を編曲:朝比奈隆氏によるミュージックチャイムが吹鳴されることになりました*11。同時にNHKラジオ、新日本放送、朝日放送でも午後10時にこのミュージックチャイムを放送し、音を吹き込んだレコード、市内各所の寺院・教会でも同時に鐘を響かせ、市中でチャイムの音が行きわたるように配慮されていたそうです*12。この鐘は「みおつくしの鐘」の固有名称が与えられましたが、その後ひろく「愛の鐘」として知られることになります。これは、鐘のコンセプトに「母の愛を思い出してほしい」という望いを託していることがあったため、と考えられます。
社会的にも好感を持って受け入れられたようで、大阪市電の切符入れに「みおつくしの鐘」がデザインされたり、「みおつくしの鐘煎餅」なるお土産品も作られるなど、大阪の名物としても受容されたとか。また、テイチクと日本コロムビアから、この鐘を歌った「みおつくしの鐘」(作曲古関祐二 作詞サトウハチロー)のレコードが発売されるほどで、「みおつくしの鐘」の反響はかなりのものがあったと言えます。
その後、1年ほどで「みおつくしの鐘(愛の鐘)」は大阪市内だけではなく、大阪市によれば全国各地にも広がるようになったとされています*13。婦人団体協議会が発行した「みおつくしの鐘:建設の記録」には、旭川市、小豆島、琴平町、松山市、田川市もこの運動に倣い同様の鐘が設置されるなど、各地に広がっていたと記されています。

③ 「愛の鐘」の普及とメディアの運動
大阪で始まってから2年後の1957年、東京でも盛り場に「愛の鐘」を設置せんとする動きが始まりました。子どもをもつ婦人等によって構成された池袋母性協会が、同地で夏休みを前に「愛の鐘」を設置しようとした。これが、現在のところ確認できる東京での最初となっています。ところが、この試みは東京都騒音防止条例によって東京都衛生局から待ったがかなるなど*14、大阪市のように洋々とは行かなかったようです*15
その後の記事によると、池袋の吹鳴開始後は、協会員の努力もあわさってか、補導される少年が従来の半分になるなど効果があったとか*16
池袋の事例をもとに、目黒区の青少年問題協議会が1957年10月に地区内「愛の鐘」設置を決定するなど、23区にもこの「愛の鐘」が浸透していく兆しが見え始めます。実際に1958年から区役所屋上に設置した「愛の鐘」で朝昼晩3回、「トロイメライ」のミュージックチャイムの吹鳴が始まっています*17*18
こうした動きに呼応するように、毎日新聞は1958年10月16日から「愛の鐘を鳴らそう」というキャンペーンを開始させました。これは、いわゆる「不良少年」を「更生」し、社会復帰の手助けをしようとするもので、現場の補導記録から家庭環境、そして少年院で苦しむ少年たちへの支援の手など、青少年問題解決の一助を目指した連載となっています。タイトルにもあるように「愛の鐘」が青少年に対する親や社会の愛情の記号として用いられているいっぽうで、上記のミュージックチャイムとしての「愛の鐘」についても調査、全国推進を図っていくなど*19しています。こうした社会運動としての「愛の鐘」(以降は「愛の鐘運動」)、ミュージックチャイムとしての「愛の鐘」を各地に浸透させていく旗振り役として、東京では在京メディアが登場することになります*20
1958年11月に総理府中央青少年問題協議会は「愛の鐘」設置を全国目標にすえ、これで全国に「愛の鐘」設置が努力目標として制度拡散していきます*21。大阪での「愛の鐘」ラジオ放送にならい、ニッポン放送が午後10時にミュージックチャイムのマイク放送を開始し*22、大阪市の設置から3年で全国的な青少年問題への解決策として拡がっていきました。
さて、「愛の鐘」運動と「愛の鐘」設置を進めている毎日新聞は、1959年1月20日から「愛の鐘」の音楽を募集します*23。これは総理府中央青少年問題協議会を後援として毎日新聞社が主催した、既存の各ミュージックチャイムとは異なる、「愛の鐘」独自のチャイムを新作しようとするキャンペーンです。審査の結果、川崎市在住の男性が応募した音楽が一等に選ばれ*24、日本コロムビアのスタジオ楽団演奏のもと、ラジオ関東で午後10時に演奏されることとなりました*25
これが、現在の地域防災行政無線のミュージックチャイムでも「愛の鐘」として演奏されている音楽の原型にあたります*26
1959年から1960年には「少年や子供たちに帰宅を呼びかける」チャイムとしての「愛の鐘」は東京の各地で吹鳴されるようになっていきました。詳しい年月日は省略しますが、東京では渋谷、上野、東京タワー(!)、港区、北区、千代田区万世橋、世田谷区三軒茶屋など、盛り場や住宅街を問わず設置されていったことが記録に残っています。その後、1964年には時報として定着し冷ややかな視線を見せる記事も出る*27など、東京レベルでは6年ほどで生活に溶け込んでいる様子が伺えるでしょう。

こうして、大阪では民間主導で始まった「みおつくしの鐘」が「愛の鐘」となって各地に拡がり、東京で取組が始まった後は在京マスメディアの旗振りのもと、政府機関の諮問協議会の勧告に上がり、国策レベルの青少年問題解決策として拡大していったと言えます。



今回、戦後青少年問題からその解決策としての「愛の鐘(みおつくしの鐘)」、それが他の都市などに広まり、その背景に大手全国紙のキャンペーンがあったことをざっくり紹介してきました。次回「『愛の鐘』の昭和史②」では、1960年代の「公害の時代」と「愛の鐘」(「愛の鐘」と社会)、老朽化による撤去、そして地域防災行政無線の周波数解放と制度化について紹介したいと思います。

お気づきのように、今回の引用メディアはほとんど毎日新聞です。朝日新聞と読売新聞は記事の量が毎日に比べて少かく、また、情報量も小さいことからほとんど毎日新聞に依拠しています。「愛の鐘」運動を主導するメディアであっただけに取材も熱心だったのでしょうか。しかし、その状況も次回から変化を見せることになります。時間を1957年ごろに再び戻し、いよいよ1981年に東京練馬区から始まった地域防災行政無線の「夕焼け放送」まで時代を下っていきます。お楽しみに。

「愛の鐘の昭和史」については、こちらの内容を加筆修正のうえ、第94回コミックマーケットで頒布する「街頭時報の近現代」に書かせていただきました。ご興味の方は、ぜひお買い求めください。よろしくお願いいたします(2018年8月1日更新)。
おかげさまで、「街頭時報の近現代」は完売いたしました。現在、第2刷を増刷しております。第1刷に図版や記述を加筆、修正をしています。第95回コミックマーケットでも頒布を検討しています。スペースの当落がき次第、報告いたします。(2018年9月25日更新)

*1:現在はNTT

*2:有線放送とも呼ばれてきました

*3:中上健次の小説「一番はじめの出来事」にみることもできます

*4:実際調査したところ継承が定かではなかったもの、後者は行政による時報機能の整備の類者として勘案しています

*5:本多勝一の回想録にそうした記述があり、漠然とそう考えていました。

*6:反社会学講座 第2回 キレやすいのは誰だ

*7:特殊飲食じゃないですよ!!

*8:現在の中学生あるいは高校生に対する観念とは異なり、就業開始年齢からすれば、現在は大学学部生あたりに類する社会的地位にいたと考えられます。

*9:新制学校制度による義務教育期間の拡張と中等教育にいる生徒数の増加、経済成長などによって自由になる時間とお金を入手した少年が増えた等、社会変動とその過渡期にあったことが原因にもあるように考えられますが、本企画とは関係がないので備忘録程度に。

*10:大阪市(1955)「大阪市政だより」第104号 pp.2

*11:大阪市婦人団体協議会(1956)「みおつくしの鐘 : 建設の記録」

*12:『毎日新聞』1955.5.6朝刊「卅万母親の祈り実る-子供守る“愛の鐘”完成す」

*13:大阪市(1956)「大阪市政だより」第116号pp.2

*14:池袋にあった東横百貨店の宣伝チャイムを使おうとしたのがどうもまずかったようです。

*15:『毎日新聞 』1957.6.27朝刊「騒音対策委で“待った”-夜の池袋に「愛の鐘」計画」

*16:『毎日新聞』1957.08.12 東京朝刊 警視庁:半減した補導少年-池袋…三週間の効果

*17:当時と現在では事情が違うにしろ、都市部でも日に複数回、ミュージックチャイムを鳴動させていたことがここからわかり、当初想定していた都市部・農村部説明は異なっていたことがわかります。

*18:こちらは群馬県安中市の事例と混同しておりました。渡辺浦人氏によるオリジナルメロディーです。訂正いたします。なお、鳴動時間は1日3回です。

*19:『毎日新聞』1958.10.30東京朝刊「警視庁:街に高まる“愛の鐘”運動-みおつくしの鐘、三年前に大阪に」

*20:もちろんそれ以前から「愛の鐘」は各地に広まっており、確認できるなかでは、旭川市、新潟市、福岡市、松山市、栃木県小山市などの地方都市でも「愛の鐘」が設置されていました

*21:『毎日新聞』1958.11.17「“愛の鐘”全国に-青少年問題協議会で取上げ、推進へ」

*22:『毎日新聞』1958.11.01朝刊「『愛の鐘』をニッポン放送で電波に」

*23:『毎日新聞』1959.01.20 東京朝刊 「事業:『愛の鐘』メロディーを募集」

*24:『毎日新聞』1959.03.10 東京朝刊 「 『愛の鐘』作曲-川崎の渡辺好章さんら入賞」

*25:『毎日新聞』1959.03.31 東京朝刊 「レコード:『愛の鐘』メロディー-吹込み」

*26:https://www.youtube.com/watch?v=D0CrGzMYKTo

*27:『毎日新聞』1964.08.19東京朝刊「葛飾区:愛の鐘のPRポスター-新宿中学生の作品」

「オータム」を探して ①

奥多摩町は現在、朝7時と夕18時に地域防災行政無線を利用してミュージックチャイムを流しています。
その曲名は「オータム(autumn=秋)」ということ以外、ファンコミュニティでは一切不明なまま現在に至っています。それは奥多摩町でも同様のようで、担当者の方曰く「当時の資料が一切残っていないので、作詞者や作曲者を含めて詳細は不明である。」とのご回答をいただきました。
しかし、現に音楽として「ある」以上、そして行政が採用している以上、なんらかの経緯を持っていることは間違いないはずです。なんだこの曲、ということで、正体をさぐるべく奥多摩町の行政資料や郷土資料を調査してきました。

結論
…アジア太平洋戦争とその戦災に関係のある音楽ではないか、以外、わかりませんでした

まず、この「オータム」という曲が初めて資料に登場したのは、
奥多摩町,(1995年),「愛宕山に「平和の鐘」を建立」,『町報おくたま』,No.489,pp.2
です。
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詳しくはこれをご覧いただきたいのですが、1995年に町制40周年と敗戦50年を祈念して建立した「平和の鐘」に流した音楽として「オータム」が奥多摩町の資料に初登場します。ところが、この記事には詳しい情報がまったく載っていません。鳴動時間が午前7時と午後17時以外手がかりは不明です。しかし、「平和の鐘」として、故木村量平氏(詳細は後述)ゆかりのものとしてこれが建造されている以上、そのどちらかに献奏された音楽である、と推察することは可能です。その後、地域防災行政無線の稼働後にそちらへ移行したようで、以下の記事にその言及がありました。左下をお読みください。

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では、奥多摩町と戦争、あるいは木村量平氏について資料の調査へと方向を定めてみましょう。
ところで、youtubeに投稿された動画から、以下の気になる記述を見つけました。

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「平和の鐘」が戦争顕彰を目的としている、ということで、奥多摩町と戦争に関係する記述を探すと、青梅市史と奥多摩町史に以下のような記述がありました。
青梅市史は、
「二月二十五日(昭和20年)、P51戦闘機の編隊が市内上空を通過した際、そのうちの一機が突如、東青梅駅に停車中の電車を銃撃し、その一弾が氷川村(現奥多摩町)の在住の都立第九高女(現都立多摩高校)の二年生に命中し即死させるという悲惨事がおこっている。」
奥多摩町史は、
「勤労動員学徒トシテ、通勤ノ途中、電車内ニ於テ敵機ノ銃撃ヲ受ケ、両下腿複雑骨折ノタメ死亡ス」、
と、当時氷川地区に居住していた都立第九高等女学校に通う女学生が、勤労奉仕のため乗車していた青梅線電車内で機銃掃射にあい、そのまま亡くなった、という事件です。奥多摩町が空襲の被害にあったのは1945年8月14日深夜に古里地区に対して行われたものが唯一で、電車に対するものはありませんでした。事実と相違*1する箇所がいくつかあるのですが、仮にこれが適切だとすれば、この事件を指しているのだと考えられます。

そこで、新聞記事から地域で戦争被害について顕彰した動きはないか調査をかけてみます。朝日新聞検索データベースから、「奥多摩町 機銃掃射」など関連するワードを検索しました。
結果は、何も引っかからず。平和の鐘に関する記事すら出てきませんでした。

さてもう片方の方針である、上記記事に登場する木村量平氏について調べてみました。この方はどのような方でしょうか。奥多摩町の氷川地区には現在も氏のご自宅が残されているのですが、町報にもある通り、現在ではすでに故人です。ご経歴を記述すると、以下にまとめることができます。
奥多摩町氷川地区に生を受け、旧制山形高等学校卒業後に東京帝国大学経済学部経済学科に進学。卒業後は生命保険会社勤務を経て満州に移住し、現地で南満州鉄道関係の職務に携わる。敗戦後はソ連の抑留を受けた後に郷土の発展に尽くした、という人物です。まさに郷土のエリートと言える方です。著述活動としては、評論等を新聞に寄稿、あるいは詩作活動を続けていており、自身の評論活動や詩作活動の記録をまとめた「奥多摩の奥から」と「続 奥多摩の奥から」を刊行しています。

その「奥多摩の奥から」と「続 奥多摩の奥から」を読むに、「オータム」に関連する作品を見つけることはできませんでした。両著作には詩作活動の集成もあるのですが、俳句あるいは短歌に関するものであり、歌詞に通じる近代詩作品の掲載はありませんでした。しかし、「続 奥多摩の奥から」は1985年初版ということもあり、その後の木村量平氏の活動で、「オータム」に該当する詩作活動をなさったことは否定できません。ただ、定型詩の作詩活動が主な方ですので、オータムの歌詞になるような散文詩を書いておられるのだろうかなあ…。

奥多摩町と戦争、木村量平氏双方の線から調査するに行き詰ってしまった感です。乗りかかった船ですから、ここで終わらせるわけにもいきません。できる限りの調査は今後も継続していきたいと思います。


今後やるべきととしては
奥多摩町政関係者への取材
…奥多摩町「平和の鐘」整備事業は、各課兼掌から推察するに、おそらく企画財政課主任の事業として進められていたと考えられます。当時の課長級職員の方から話を聞くことができれば、何かしらわかるかもしれません。
新聞資料の捜索
…朝日新聞地域版を調べてみたところ、青梅線電車機銃掃射事件の市民による顕彰グループが活動した等の記録は見つかりませんでした。調査対象を広げ、NDL等の契約データベースから他大手紙や地域紙(西多摩新聞か)の紙面調査をする必要は引き続きありそうです。
の2つが挙げられます。爾後も調査は続けていきます。

なお、ウルトラCとして3番目の
故木村量平氏に聞きに行く
もあります。
青森県には便利な土地があり、その地で死者と会話ができるそうです。これは期待ですね。

蛇足ですが、
● JASRAC歌曲検索でもこれに該当する曲はありませんでした。

いい線まで来たとは思うのですが、まだまだ道は遠そうだ。



しっかしまあ、やっても1円にも、そして1本の研究発表にもならんのだよな、これ。




最後に追記ですが、新座・鴻巣市の瀟洒曲を制作した編曲者に問い合わせたところ、個人への販売はしていない、とのことでした。残念です。

*1:男の子ではなく女学生、奥多摩町内ではなく青梅市内

前回の続き

前回の記事で地域防災行政無線を利用した、正時のチャイムについて分類を試み、それらで用いられている原盤発掘について紹介いたしました。
それからしばらくし、いくらか原盤を探し当てた自治体があり、以下に紹介いたします。
・東京都足立区
 …「夕やけこやけ」
  編曲 南安雄
  演奏 ストリングス・エマノン(NO NAME)
・東京都葛飾区
 …「夕やけこやけ」
  編曲 若松正司
  歌唱 山野さとこ&森の木児童合唱団
  演奏 コロムビア・オーケストラ
・東京都大田区
 …「夕やけ小やけ」
  編曲 矢代秋雄
  指揮 ジャン=フランソワ・パイヤール
・愛知県蟹江町
 …編曲 高原いづみ
  
のそれぞれです。

東京都葛飾区の音源は日本コロムビアから出版されている童謡オムニバスCDから作成されており、探し出すのは容易でした*1。買わずとも自分のCDラックにそれを収録したメディアがあり、非常に美味です。楽々原盤旅行。
くわえて足立区の夕焼け放送について掘っていったら、曲間のアナウンサーについて取り上げている記事に出会いました
*2。先の脚注によれば堀江慶子さんという方で、1991年ごろから現在の放送と同じものを使用しているようです。現在入手できるCDはどれもそれ以降にプレスされたものですので、足立区の夕焼け放送は、それ以前のレコードあるいはテープから起こしたものなのでしょう。埼玉県で幸手市や新座市の定時放送でアナウンサーを務めている女性は誰なんだろう…、と、調査欲が上がってきました。ひと段落ついたら調べてみたいですね。

さて、こうした調査は悉皆調査にならざるを得ません。対手がわからない以上は目星をつけることがどうしても難しいからです。手軽にできる発掘として、試聴機能のある通販サイトやitunes、Google Musicなどをアーカイブとして活用してきました。愛知県蟹江町の原盤もたまたまitunes上で発見したもので、現代のネットワーク上に形成されたクラウド的機能に驚嘆しています。しかし、それではitunesやGoogle Music等にライブラリを登録している曲以外は探すことはできません。では、どうするか。
そこで、公立図書館所蔵のメディア*3を利用しました。とりわけ国会図書館はご存じのように、日本のすべての出版物収集を理念としており、それはこうした音楽メディアも例外ではありません。漏れは否めないものの、試聴不可能のメディアを可能な限りリスト化を試み、国立国会図書館や都立図書館などの大規模公立図書館で収蔵されているものや、各都道府県図書館横断検索機能から該当盤をしらみつぶしに探し、確認してきました。
しかし、残念なことに、上記以上のものはなかなか出てきません。現状では原盤発掘自体は頭打ちになっています。埼玉県鶴ヶ島市などは海外オケのメディアも含めて発掘しており*4、ここから先は少々時間がかかりそうです。

もう1つ、新座市あるいは鴻巣市などで使われている瀟洒楽曲については、編曲者および出版元の調査が完了しました。業務用の市販されていないものであり、今後接触を図っていきたいのですが、個人での入手は少し難しいかもしれません。

進捗がありしだい、報告をさせていただきます。

*1:日本コロムビアのCDから童謡オムニバスを適当に見繕えばよい話ですから…

*2:「慶子の時間」ですよ=微笑が魅力のプロアナウンサー(上)|穂高健一ワールド~書斎の小説家が街に飛び出した、気鋭のジャーナリストとして http://www.hodaka-kenich.com/Journalist/2014/06/11211144.php

*3:CDやレコード、テープを含めて

*4:チェコの放送管弦楽団かなと思ったらことなり、国産でもいろいろ手を付けていますが、残念ながら見つかっていません。オケの演奏会ではフルート強調は弦を殺すのであまり好まれていないこともあり、レーベルお抱えの楽団が演奏したインスト曲かなあ、と検討はしています。ビクター系列ではなかったし…。

同人誌を書いてみて

・結論
同人誌を書いて反省していたら、自分の弱点が見えました*1

・目的
自己のふりかえりと同人誌の宣伝

・今後の課題
趣味空間における活動の立ち位置の自覚


さて、私は高校にいた頃からいわゆる「同人誌」を書いておりました。とはいえサークルには属さず、自分ひとりで書き散らすスタイルを貫いているので、一般的な原義の「同人」ではありません。しかし、自分の趣味に関する自費出版で、かつ公開の書籍市場に流通させていない場合なら、コミュニティによっては「同人誌」と呼称することがあるので、今回はそのように呼びます。
どのような「同人誌」を書いているか。まず、小学生より続けていた日本の廃墟や多摩の戦争遺跡訪問体験記等を高校生の頃は主に書いていました。その後、学部進学後はアニメBGMに関するもの、アニメ舞台設計に関する訪問記録に手を付け、現在はそれらの続編と、規範とそのトリガーとなりうる音楽に関した論評を書き散らす準備を重ねています。本分はどうしたんだろう。

そのどれもが、自分の趣味対象の調査という手法をとり、東京という都市が積み重ねてきた歴史や、経験から生み出してきたカルチャアを記述することを目的としてきました。高校生の頃は書かずとも察するかたも多いでしょう。廃墟は産業構造や交通流路の変化から放棄された人里であり、戦後日本の歴史のひとこまを保存した場所であると言えます。アニメBGMであれば、アニメ産業の利潤最大化の中でアニメBGMの販売という手法が取られ、それは、東京に本社を構える資本の営業努力の結果であった。しかし、それはあくまで新しい手法ではなく、すでに映画産業では当時から一般的に取られている方法であったこと。現在手をつけていることは、都市問題の解決のためにあるカテゴリの音楽が考案され、官と民の手で徐々に日本全国と波及していった、という経緯を行政資料やメディア資料、関係者証言から追っていくこと。など。

そして、それらを読み返しても、「肝心の主張」は意図してぼやかしている、あるいは読み返しても伝わりにくいものがほとんどであること。

なぜでしょうか。筆記録を残していないので、記憶を頼りにそれらの制作状況を振り返ります。
すると、「藪をつついて蛇を出したくない」とのフレーズが頭を走り回りました。
一般的な用法とは異なり、おそらく、面倒からなるべく離れていたい、という願望です。
それをこの活動にあてはめて考えてみましょう。

主張するには責任を取る必要がある。それは、なぜこの対象を選んだのか*2、主張する意図や目的と選択対象は適切であったのか、この結論は妥当であるのか、それらにたいし、丹念に答える必要がある。それが果たすべき責任です。
しかし、それらを明示していない。後付の考えであったという可能性を考慮しても、先にも言ったように、それを意図してぼやかしているようにすら思える。面倒なことはなるべく抑えたい。


あ、これおれの人生じゃん。

うわ。

やっべえな。



こうした活動を経時的に追った結論と、心性を直結するのは飛躍があるかもしれません。
しかし、どうにも、いろいろなところで当てはまる。行動原理に近いところがある。
考えまい考えまいとしてきたことなんですが、どうもわかってしまったようです。
なるべくタイムスパンを長く取ったことで、こうした態度が可視化されたのでしょう。
自分の活動を振り返る機会を今まで設けずに来たのですが、ある程度客観視できる機会となった。
とてもよかった。

こうしたことで課題が浮き彫りになりました。
これをふまえ、今後の自分の活動を再構築していくことにつなげていかないと。
もちろん、これは趣味活動に限りません。


さて、今後の趣味活動の方策はある程度ですが固まっています。
それと同時に、過去作をリバイバルあるいはブラッシュアップし、もう一度上記の理念のもと立ち位置を捉えなおすこともしないとならないかも、です。しかし、保存していたPCがクラッシュしてデータが消えたいま、当時のものを復刷するのはかなり困難です。あくまで心構えとして認識する、くらいが現実的なのかもしれません*3
ただ、こうして書いてしまった以上、現在進めている「街頭時報」はその課題をなるべくクリアにして進めていかないとなりません。もちろん、がちがちに考えず、一般的に「好きだから~Aする」という心構えでも善いのでしょう。ですが、そうであっても小学生の時より持ってきたマインドは大事にしたい。その延長線上にある活動であると忘れたくはない。*4
最後に少しだけ触れると、根源的な問題として、趣味活動はあくまで本業と余暇の軸に展開していくものでもあり、肩の力を抜く機会でもある。余暇活動にそうした徹底を求めることの是非、これに対する検討を引き続き行っていくことも今後の課題です。

その辺のバランスを取りつつ、自分の趣味スタイルを模索していく。
趣味をせんと生まれけん。やっていきましょう。

*1:別に特有ということではなく、継続的にある経験をしていれば、そこから反省は得られるということです。

*2:それは、なぜ「趣味の自費出版という手段を選んだのか」というプリミティブなとこから始まります

*3:面倒だから、じゃないですよ。

*4:そういうことがしたければ、そうするためのフィールドがあるわけです。

原盤を探して

日本の街を歩いていると、正時あるいは夕方の時間になると音楽が響き渡る。

こうしたチャイムを耳にすることが多いと存じます。

たとえば、12時になると「恋は水色」や「エーデルワイス」。夕方になると「夕焼け小焼け」、「家路(新世界より・遠き山に日は落ちて)」、「ふるさと」などなど。思い出せば聞いた記憶がある方がほとんどではないでしょうか。

これらのチャイムは市町村が運営している「市町村防災行政無線」と呼ばれるシステムを利用して流されています。現在、日本の自治体では7割以上に設置されており、有線放送も含めると、おそらく半数以上の自治体でこうしたチャイムを流しているのではないかと推察されます*1

こうしたチャイム。毎日決まった時間に子局と呼ばれる電波塔を稼働させることで、平時から故障等のチェックを行うことが目的であるとされています。こうしたチャイムに着目してみると、例えば農業漁業などの一次産業に従事している住民が市町村の50%以上だと、朝間や正午にも流されるようになる、など地域の主とする生活スタイルを可視化する効果があったり、こうしたもの掘っていくといろいろ興味深いものがあります。しかし、今回はそれが目的ではありません。

さて、これらのチャイムはもちろん原盤があり、それらの流す媒体から、多くの場合、2タイプ4類型ほどに分類することが可能です。
Aタイプ 打鐘式
…旧東京都三鷹市など

Bタイプ 音源式
納入機器の音源を利用したもの
…東京都千代田区、東京都墨田区、東京都江戸川区、東京都立川市、東京都小平市など

演奏を収録したもの
…東京都三鷹市(打鐘式を録音)、東京都港区(自治体職員の演奏を録音)、東京都小金井市と埼玉県吉見町(どちらも現地関係者が演奏)など

市販あるいは業務用CD、もしくはwebサイトから引用したもの
…東京都大田区、東京都足立区、東京都墨田区(旧)、東京都葛飾区、東京都練馬区など

Aタイプの打鐘式は名前の通り、鳴らした鐘の音をマイクで拾い、それをチャイムとして流す方式です。デジタル化前の東京都三鷹市があげられます。まさに「チャイム」というべき方式です。youtubeなどの動画投稿サイトで、この方式の実演を見ることよできます。

Bタイプの音源式は、CD、ROMカード、レコードやテープなど録音媒体は問わず、記録したメディアを再生している方式です。その中でもさらに3つの類型に分けることができます。上記に記したように、
① 機器備え付けのもの。
② 自治体職員や学校の生徒、あるいは現地の住民などが演奏または制作した音源。
③ 市販のレーベル、あるいは業務用レーベルからおこしてチャイムとしているもの。
のそれぞれです。
①については、インターネット上で愛好者のみなさんがyoutubeあるいはブログ等に調査結果を発表されていることもあり、ここでは扱いません(みんなやってるしおもしろくないでしょ。)。
②も同様です(おもしろくないでしょ)。
そして残った3番目の「市販レーベル」発掘、今回はこれを扱います。

どうもマニア心に、こうした原盤をそのまま聞いてみたい、という希望があります。
それこそ「君し踏みてば 玉と拾はむ」の精神です。我ながら謎の好物と原動力だ。

防災行政無線のミュージックチャイムは、聞いた住民にすぐわかる必要があるためか、「ふるさと」「夕焼け小焼け」「ウェストミンスター・チャイム」など、なじみ深い音楽が用いられている場合が多くあります。また、単に鐘を模したチャイムだけではなく、オーケストレーションされた曲が用いられていることもあります*2。そのほかにもジャズ風にアレンジされた楽曲や歌入り歌謡を使っている自治体など、バラエティに富んでいます。こうした楽曲、特に「ふるさと」や「夕焼け小焼け」の民謡あるいは唱歌などは、大手レコード会社のレーベルからオムニバス形式のCDが発売されており、そのレパートリーにオーケストレーションされたものもあります。くわえて「アニーローリー」や「家路(新世界より・遠き山に日が落ちて)」などの西洋音楽は、ネームバリューも高く、国籍を問わず、クラシック楽団が演奏したCDも数多く発売されていることは言うまでもありません。
偶然にも、オリジナルのミュージックチャイムを用いている中に、そうしたCDから抜粋あるいは編曲したミュージックチャイムがあることを知り、こうした音楽の原盤発掘を現在行っています。これが思いのほか興味深く、童謡とそれにまつわる資本や芸術家たちの思惑、というのは奥深いものがあるのだと実感します。21世紀で主に歌われている童謡は、明治時代あるいは大正時代にかけて、西洋音楽と西洋文芸(散文詩)の影響下のもとに作曲されたものが数多くあります。こうした西洋芸術を受容したうえで作られた音楽が「オーケストレーション」され、それが「抒情」「懐古」としてラべリングされている。そうしてみると、日本の童謡と「舶来の音楽」を受容吸収していった過程、というのは密接な関係にあるのだな、と考えてしまいます。専門家でもないのでやめておきましょう。

さて、いま用いている探索の方法(ノウハウというほどのものでもないのですが…)を以下に紹介いたします。
A 機械判定
 …youtubeの機械判定を利用する。*3
B インターネット検索
 …ショップ、通販サイト、itunes等音楽配信サイトやCDジャーナルの楽曲検索を利用する。
C レーベル調査
 …Bの漏れを補うため、大手レコード会社のレーベルについて過去の分から調査する。*4
D 公立図書館
 …楽曲使用自治体の図書館を調査する。*5

の4例です。
大した方法でもないのですが、こうした作業を続けることで、童謡やそのオーケストレーションされたCDのリストアップをこなし、原盤発掘につなげていければ…いいなあ。そのほかにも、日本コロムビアであれば「実用シリーズ」と銘打った、様々なシチュエーションに対応したオムニバス形式の童謡インストCDもあり、こうした方面もリストアップしていかないと~と唸っているところです。
ただこの方式で行くと大手レーベルの楽曲はおおかたで網羅できるのですが、漏れは否めません。いっぽうで中小レーベルの楽曲だと、なかなか反映することが難しくなってしまいます。また、探索の性質上、悉皆調査ということもあり、どうしても時間がかかってしまいます。時間がかかる分には構わないのですが、今後は市販レーベルではない、業務用のレーベルにまで手を広げることも必要です。いち素人がそこにたどり着くまで、いま以上の根気が必要となってくるでしょうし、軍資金の目星もつけないとなりません。そちらが続くかどうか、いや、続けますが。


それでも現在、youtubeに1自治体の原盤動画をアップしております。それに加え、この1週間で2自治体1地域の原盤を発掘したこともあり、準備が整い次第アップロードをしていきたいと考えいます。

ところで、埼玉県新座市・鴻巣市・熊谷市、東京都清瀬市で用いている、あのジャズ風アレンジはどこのレーベルなのか。これらと同じコンセプトで作られたと思しき「富士の山」が使われている場所を静岡県で確認した、ということもあり、おそらく広く流通していたレーベルのものなのだろう、とは推察できます。新座市の機器納入会社がNationalであり、かつて傘下でもあった松下(National)-日本コロムビア路線が怪しいのではあるんですが。

ひきつづき、原盤を発掘しだいご報告ができればと存じます。




うーん。無職になったのに何やってるんだか。

*1:管轄する総務省のサイトによれば、現在全国で約8割の自治体がこのシステムを利用しています。各地域でばらつきがあり、首都圏では約92%の自治体が導入しています。 総務省 電波利用ホームページ | 防災行政無線

*2:たとえば東京都足立区、東京都練馬区、埼玉県鶴ヶ島市など

*3:youtubeの著作権管理で用いている判別機能で、時折、アップロードされたミュージックチャイムの原盤が明記されていることもあります。

*4:日本コロムビアやビクターエンタテイメント、キングレコード等老舗は豊富な制作事例があります。

*5:実際に神奈川県のある自治体では、公立図書館のCDから抜粋しマスターを作成した例もあります。

ラブライブ!東京ドーム公演の決まった過程を推察してみる

※読了までに約10分要します
【概要】
本投稿では、ラブライブ!東京ドーム公演が決定した過程について考察を行った。
テレビアニメ放映告知に関する時期や、ライブの動員数から、
・劇場版の結末:2013年11月末辺りに決定
・ドームの予約:仮予約が2015年2月ごろ、本予約が2015年11月頃
との結論を得た。
また、16時開演は、21時30分までしか公演のできない東京ドーム側の事情があると推察できる。
前回ですら4時間30分行っているが、それ以上に曲や演目が増えている。
今回は、開演可能な5時間30分フルに使い、16時から21時30分まで行われると考えられる。



昨年(2015年)12月5日に東京MXテレビ「ラブライブ特番 μ’sこれまでとこれから」でμ'sの東京ドーム公演「FINAL LOVE LIVE μ'sic forever」が発表されました。この「FINAL」「forever」という名もあいまって、また、それを助長するスポーツ紙やバイラルメディアの記事*1*2もあり、2010年代前半のアニメコンテンツ産業の屋台骨を支えてきた作品の終焉、との印象を抱いた方も多くいらっしゃるかもしれません。加えて、先行して2015年6月に封切られた「ラブライブ! the school idle movie」も「9人がアキバドームで解散ライブをする」という結末で締められており、現実とアニメの設定が同様の道筋をたどったことも、その傾向をさらに加速させた、と述べる媒体も多々あります。アニメと担当声優ユニットのフュージョンがコンテンツの中核にすえられていたこともあり、これもある意味既定路線として捉えられていた、劇場版公開後のTwitterにおいてそのような感想もちらほらとあがっていました。それをネタとした「釣り」もあったこと、これを覚えておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして、その「釣り」がまとめブログに取り上げられた。*3 それだけ、この「ラブライブ!×東京ドーム公演」はアクセスを稼ぎやすい、注目や関心が広まり、情報が求められていたものであった、ということを裏付けていると考えられます。その後、大方の予想通りに「6th」は東京ドームでの開催が告知されます。

さて、東京ドームで公演をするとなると、相当前から企画立案を行わなければなりません。プロジェクトとして進行するためには、ちかごろ「セトリ」と呼ばれることもあるライブ本編の構成のみならず、舞台設営とそれに関する関連会社、物販やそれに関した関連会社との折衝、会場管理法人や警備会社、管轄警察署との折衝、それら全て解消したうえで最終的な立案をしている必要があります。言わずもがなですが、ラブライブ!のコンテンツはあくまで営利事業です。確実な黒字が予想できなければ、担当者の裁可はまず得られないでしょうし、諸経費をすべて入場料および物販の売り上げでまかなえるほどの利益が出ることを盛り込んでいなければなりません。
また東京ドーム側の問題もあります。東京ドーム単体のレンタル料やその他経費をまかなえる法人や団体である*4こと、そして開催する団体に、法人としての東京ドームが認定した「一定以上の実績」の備わっていなければならない“そうです”。*5この「一定以上の実績」がどういうものであるのか。これがなかなかくせ者なのですが、今回は置いておきます。これをコンテンツとしての「ラブライブ!」で敷衍してみましょう。
コンテンツ実績*6
【アニメ実績】
劇場アニメーション初登場観客動員数第一位*7
【公演実績】
2014年・2015年と2年連続でさいたまスーパーアリーナで開催*8
2015年12月31日紅白歌合戦出場*9
【一般層(非興味対象)向け】
NHK紅白歌合戦出場*10

東京ドームがどのような評価基準を置いているかはさておき、ここまでの実績があれば貸し出さないわけにはいきません。公演実績にかんがみても、1日のみ開催の場合の東京ドームにおける入場者数限界は55000人*11ですから、これは充分埋めることができます。この実績だけでも、2日の11万人動員でも埋まる可能性は充分にあります。要はどのようなグループないし個人であっても、それが東京ドームの考えている・自負している「日本の歌手系アーティストの目指すべき最高峰」というブランドを崩さなければよい。

とすれば、東京ドームが貸し出さない理由はないわけです。

混雑に関しての問題となると、嵐が6月に行う「ワクワク学校」や12月に行われる年末公演などは、前日から始まるプレ物販でさえ東京ドームシティを一週させたことすらありますから、これは東京ドームと物販・警備会社ともにノウハウがあります。そのうえ、「過激派ラブライバー」に関して、いままでの公演で大きな騒ぎを起こした、という情報は出ていないわけです。暑くて感情を爆発させる、ということはあれども、寒くて感情爆発、これはあまり聞いたことがないがないですね。*12

ここまで歌手系アーティスト公演と東京ドームの関係について簡潔ながら記述していきました。今回の記事のタイトルは「決定した過程」ということですから、これを推察することが最終目標です。ラブライブ!アニメシリーズにおいてそれがいつになるのでしょうか。

ここでキーになってくるのは、2014年3月より放映された第二期とその後2014年6月ないし7月に発表された「完全新作劇場版」*13の制作日程です。
第二期最終話の結末は、その後の劇場版のはじまりとリンクしているものでした。テレビアニメの制作環境においてどのような意思決定のもと、最終稿までの道筋が下されたかはわかりませんが、全13話のプロットを作らずに絵コンテ制作に入るとはなかなか考えられません。労働管理としてもかなりリスキーです。とすると、第二期最終回で劇場版制作発表が行われていることにかんがみても、第二期と劇場版は連続した制作決定が下されていると考えてしかるべきです。
では、第一期制作発表から、劇場版制作発表までを時系列順に追ってみます。
図1
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少々見にくい図となっていますが、第二期制作発表から第二期放送開始告知まで時間がかかっていることがわかります。その間約8ヶ月。いっぽう、第二期放送発表から完全新作劇場版制作発表までわずか4ヶ月、第二期の終了とあわせた発表です。先ほどの推論がそれほどまでまちがっていないことをある程度裏付けできるかもしれません。とすれば、第二期のプロットができあがったのとほぼ同時に劇場版の結末(=アキバドームエンド)がしあがっていたと考えられます。もちろん細かな変更などはあるでしょう*14。また、第一期終了からしばらく時間の経っています。第一期をそのまま接続させた第二期ではなく、第一期を土台とした第二期と、そのための時間であったとも。さて、これらの動きとμ'sの人気を現すと考えられる指数を連動させてみます。
図2
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CDやBlu-rayの総売上も考えましたが、ある一定の期間における人気を反映している数量的データは、やはり公演の入場者数がもっともふさわしい指標になりえます。CDやBlu-rayは購入者によって数が容易に変動しますから、実人数を把握する*15のであれば、こちらが妥当です。横軸が時系列、縦軸が入場者数(単位は人)です。とはいえ総入場者数はわかりませんので、チケットが完売(=満員)であったと仮定します。グラフ線の丸が公演、横軸にある灰色の丸がアニメの動向に関する情報の発表をあらわしています。ここで目をひくのが2013年中頃から2014年1月にかけての大幅な伸びです。その伸びはおよそ10倍にもなります。それ以前のゆるやかな伸びとは異なる、かなり急激な変化です。この間はアニメ第二期の制作発表から放映開始発表とちょうど被ります。急速な伸びは関連商品の売り上げを含めてラブライブ!制作委員会内でその情報は共有しているでしょうから、おそらく、第二期および劇場版のプロットが確定し、6thの行程がおぼろげながら範疇に入ってきたのは、4thの申し込みが終了してからしばらくであると考えられます。となると、第二期および劇場版の落としどころに決着がついたのは2013年11月末あたりでしょうか。

しかし、これはあくまでも制作委員会の内部でのやりとりおよびアニメでの「東京ドームエンド」です。実際の東京ドームがいつ借りられたかはさらに論を進める必要があります。

6thの公演は3月31日と4月1日、と年度をまたぐかなり徳井な日程で公演が行われることになっています。またこの後、4月9日と10日に東京ドームで水樹奈々の公演が入っており、「水樹奈々が先約を入れていたため、μ'sが日程を抑えられなかった」という言説もいちぶでは見られました。しかし、今回の6thは5thで既に「NEXT WINTER」と予告されており*16、4月をWINTERとするのは、多くの人の見識に照らし合わせてもムリがあるのではないでしょうか。また、3月中の東京ドーム日程を見てみると、3月上旬、公演やオープン戦に関する日程は入っていません。*17
図3:東京ドーム2016年4月上旬日程
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図4:東京ドーム2016年3月上旬日程
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特に3月はがらあきです。通常であればジャニーズや韓流ユニットの公演、ないしイベントが入っているはずの時期です。東京ドームシティの公式サイトでは、過去に公演を行ったアーティストの一覧とその日程を1988年からすべて確認することが出来ます*18。これによれば、3月の上旬から中旬にかけて毎年のように公演が行われていることがおわかりいただけます。となると、オープン戦はともかく、2016年の1月において、2016年3月上旬の公演の発表がどこからも入ってきていないというのは不自然な状態です*19。また、前回の5thが、SSAでの4th第二日目終了時に具体的な日程と会場が公式発表されていた*20一方、5thにおける6thの発表は、日程や会場の告知はなく、「ビッグになって」「NEXT WINTER」など抽象的な時期の説明だけでした。ここで考えられるのは「5thの時点で具体的な日程はまだ決まっていなかった。」ということです。とすると、3月上旬に東京ドームにて他のユニットやグループによる公演の入っていない理由が、少し見えてくるかもしれません。

ここで、図4をもう一度ご覧いただきます。
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本来であれば数回の東京ドーム公演かオープン戦が入っているはずの予定が今年はがらあき。公演でなくともジャニーズが総出で運動会イベントを行うなど、年始の「ふるさと祭」や「キルト展」などの展覧会が終了した後に、プロ野球開幕までのすき間をぬって公演が行われるのが常です。また、東京ドームは野球を除き、1年前までに仮予約、本予約は日程の半年前に決まると言われています。そこで、「先に3月上旬の5日6日ないし12日13日の土日をラブライブ!制作委員会が仮予約していた」という考えを挿入してみます。3月上旬であれば「Next Winter」も充分に満たす日程になります。実際寒い。ですから、制作委員会側は2015年上半期に3月上旬を「仮予約」していたが、日本ハムファイターズの球場変更移動*21を見て*22、2015年11月上旬に3月31日と4月1日の日程で本予約をした、と論を進めるのはさほど不自然ではありません。ですから、抽象的な文言でしか6thの開催日程を表せなかったわけです。とすれば、5thで次回の具体的な日程が告知されなかったこと、3月上旬に現時点でほとんど公演の予定が入っていないのも得心がいきます。μ'sの公演がどちらかの土日にあり、直前の移動であったわけですから。そして公演4ヶ月前、12月に日程発表が行われたのも納得がいきます。交渉及び本予約がぎりぎりまで妥結していなかった、とも考えられるわけです。交渉が始まったのは5thの前後、2015年2月あたり、現実の東京ドームが日程として確定したのは2015年の11月中旬頃であると考えられる、と結論づけます。
この時期であれば、すでに5thの入場者数と物販の総売上も計上されていたでしょうから、東京ドーム側に具体的な収益とロイヤリティ額の提示ができるわけです。ただし、この論が妥当だとしても、当初からどちらを希望していたのかどうかはわかりません。論を導くためにはあまりに情報が少なく、そして曖昧です。ですが、仮にこの論が適切であるのならば、土曜日および日曜日、興業として安定した集客が見込める日程を放棄してまで、この特殊な日程を確保したのにはいかようにも理由が考えられます。つまり、この日程に意味がある。何度も言われているように3月31日は年度末、学齢であれば所属する学校の変わる日、つまり卒業の日です。そして、劇場版ではμ'sの解散、すなわち卒業が描かれた。そして4月1日は新学期、新しい年度の始まる日です。これはもう論を俟ちません。

<2016年2月21日挿入>
こちらのニュースリリースを見落としておりました。斜線部は取り消します。後日、論の再考を行います。

開業以来初!東京ドーム大規模リニューアル計画~唯一無二の快適なスタジアムを目指して~http://contents.xj-storage.jp/xcontents/AS01950/7102cf56/67e4/41ff/8cb5/219273fbb39f/20160119153619155s.pdf


はてさて、今回の結論は非常に限られた情報でのみ推察したものです。仮定と仮定の積み重ねですので、実際の制作現場でくだされた意思決定とはかけ離れた論を決した可能性は充分あります。またまだまだ論がごちゃごちゃしているところも残っています。ゆえにこの結論の妥当性については保障しかねます。しかしいろいろと想像するのは良い暇つぶしになりました。いつかこの「答え合わせ」をやってみたい。


余談ですが、東京ドームは区との協定があり、公演は21時30分までしか行えません。周囲の住民への配慮です。前回の5thは18時開始で22時30分終了の4時間30分。それから曲目も増えています。16時開演、これは協定時限の21時30分ぎりぎり、5時間ないし5時間30分行うということなのかなあ。

*1:「μ’s」解散正式発表 来春東京ドームでファイナル公演

*2:ラブライブ『μ’s』、来年春に解散か 東京ドームにてファイナルライブを公演 : アニはつ -アニメ発信場-

*3:「ラブライブ!6thライブ」東京ドーム公演決定!!!!! というデマが拡散される : はちま起稿

*4:株式会社東京ドームへ支払う物販のロイヤリティなども含んだすべての経費です。交通の極めて便利な東京のど真ん中ということもあり、場所代は相当高くつきます。

*5:これを明文化した新聞記事を以前に読んだことがあるのですが、探したところ見つからず。現在も捜索中です。ご存じの方がいらしたらお教え下さい。

*6:代表的なもの、ないし明確に数字を出せるものを記載

*7:人気女優を揃えた「海街diary」を抑え、初登場土日動員25万1811人 【最速】6/13~6/14の映画興行収入ランキングTOP25!初登場1位「ラブライブ!The School Idol Movie」2位「海街diary」ほか | ENJOY CINEMA

*8:37000人/日×2日/年=のべ計74000人/年の動員

*9:出場内定と報道は11月末ですが、出場打診自体はそれ以前と思われます。が、とはいえ、あくまでもこれは人気や知名度をあらわす目安としてお考えください。

*10:9に同じ。

*11:特殊例としては2015年のNEWSがあります。 NEWS10周年公演に6万5千人が熱狂 増田貴久、念願の東京ドーム公演に感涙 | テレビファン・ウェブ もし仮に、構造がNEWSのように中央で小型のステージを確保するものでしたら、無論、55000人より入場者数は増えます。

*12:もっともラブライバーよりも手強い生き物である「女子高生」や「オバサン」が殺到するジャニーズのコンサートに比べれば、そういう意味(どういう意味?)でのおとなしさはありそうですし、寒いとご本尊が縮こまっているわけですから、男のパワーはあまり出そうにもないですし。

*13:

*14:京極監督は「当初劇場版の楽曲は作中で3曲の予定だったが6曲に増えた」とのべています。

*15:もちろん応募倍率などを加味する必要はあります。

*16:

*17:2016年1月22日確認

*18:東京ドームシティ|イベント|東京ドーム公演アーティスト一覧

*19:もちろんジャニーズの嵐など、20万人を一度に動員出来るような超人気グループでは、2014年の「ワクワク学校」開催発表が1ヶ月前であった、などの事例はあるにはあります。

*20:

*21:ニュース | 2016/4/1(金)福岡ソフトバンクホークス戦 開催球場を静岡県草薙総合運動場野球場に変更 | 北海道日本ハムファイターズ

*22:日ハム移動が先行し、制作委員会がそれを後追いしたか、それとも因果が逆かどうかはわかりません。

「宇宙戦艦ヤマト2199」劇伴音楽判別に伴う分類

「宇宙戦艦ヤマト2199」劇伴音楽判別に伴い、個人で使っている用語です。実際の製作現場では新曲を指して「Nナンバー」としているようですが、音楽作曲の観点から「踏襲」や「独自」であるかに焦点をあて、分類いたしました。
「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」に関しては特殊な曲も多くあることから一覧から省いています。そちらに関しては別集計で表出しますのでよろしくお願い致します。

フォローナンバー
いままでの「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの劇伴音楽やシングル等で登場した音楽を総称したくくり。
踏襲することで、「宇宙戦艦ヤマト2199」と初代「宇宙戦艦ヤマト」の根本にある世界観は同じであると表現しています。
・踏襲曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」に登場した劇伴をそのまま用いている「2199」劇伴
「無限に広がる大宇宙」
「元祖ヤマトのテーマ」
「地球を飛び立つヤマト」
「探索機発進」
「ヤマトのボレロ」
「哀しみのヤマト」
「哀しみのスカーフ」
「サスペンスA」
「敵宇宙船の出撃」
「美しい大海を渡る」
「艦隊集結」
「デスラー登場」
「月のクレーター」
「空母の整列」
「哀しみ(沖田の死)」
など
・踏襲派生曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」に登場した劇伴から派生した「2199」劇伴
「無限に広がる大宇宙(Voice)」
「ハーモニカ(真赤なスカーフ)」
「真赤なスカーフBG」

・援用曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」以外のシリーズなどで登場した音楽による「2199」劇伴
 これらの音楽を援用することで、「宇宙戦艦ヤマト」サーガにそった世界観を演出することに成功しています。
「イスカンダルの女(サーシャ)」
「デスラー襲撃」
「白色彗星(Disco)」
「大いなる愛(導く魂)」
・援用派生曲
→初代「宇宙戦艦ヤマト」以外のシリーズなどで登場した劇伴から派生した「2199」劇伴
援用するだけではなく、21世紀の音楽場面に相応しい音楽にアップデートし、「宇宙戦艦ヤマト2199」の即時性を表現しています。
「コスモタイガー(Wan Dah Bah)」

オリジナルナンバー
「宇宙戦艦ヤマト2199」オリジナルの劇伴音楽と、その派生曲を総称したくくりです。製作現場では「Nナンバー」と言われていたそれになります。
・独自曲
「宇宙戦艦ヤマト2199」で独自に登場した劇伴音楽
「宇宙戦艦ヤマト2199」が単なる「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクではないことを表現しています。上記カテゴリーにあてはまると思しき音楽であっても、「宇宙戦艦ヤマト2199」の世界観を強く反映したと思しき曲はこちらにピックアップしています。
「ヤマト前進」
「ファースト・コンタクト」
「ヤマト渦中へ」
「YRAラジオヤマトのテーマ」
「動揺(サスペンス)」
「銀河航路」
「独裁者の苦悩」
「大志」
「永遠に讃えよ我が光」
「魔女はささやく」
「ガミラス次元潜行艇」
「時計仕掛けの虜囚」
「ニュース映画のテーマ」
「第二バレラス」
「帝都防衛戦」
「崩れゆく総統府~希望」
「虚空の邂逅」
「孤高のデスラー」
「地球の緑の丘 旅立ち~帰還、そして明日への希望」
など
※スコア自体は踏襲しているが、テーマを強く反映した曲であるので独自曲に加えました。
・独自派生曲
独自曲から派生した劇伴音楽
「独裁者の苦悩(弦)」
「大志(若者よ大志を抱け)」
「ガミラス次元潜行艇(ティンパニ)」
「帝都防衛戦」
「眠れる想い」
「碧水晶」
など

このうち初代派生曲と踏襲派生曲に関しては実質「2199」独自の劇伴音楽だと考えられますが、分類上わけています。また、これはあくまで作曲上の分類です。使用された場面毎でわければ、踏襲曲・独自曲の括りはまた別の観点から分類可能だとも考えられます。
なおこれは未完成の表です。場合によっては新たな定義や定義位置の移動があるかもしれません。ご了承下さい。