営団ブザーとベリル

「ベリル」とは東京メトロ丸ノ内線中野坂上駅B線ホーム発車サイン音の曲名である。

ひとつだけしかできないならば、ひとつをめげずにやり抜こう。

ADHDなぞ関係なく、「二兎追うものは一兎を得ず。」
昔の人は言いましたが、その通りです。
ひとつのことをじっくりと取り組んで、ひとつひとつ投げ出さずこなしてきた結果が少しづつ成果になってきました。
健康、職、資格、研究、小説執筆、そしてこの3年いちばん苦悩してきたこともゴールが目前です。
そして今週からしばらく関西方面に旅行へでかけます。そうです、関西旅行に行けるだけのお金と心の余裕が帰ってきました。
山科にある京都山科ホテル山楽が定宿です*1
何度も訪れているのでホテルの方から「電車好き」とバレており、いつも「電車、見える方の部屋にしておきました。」と言われるほどです。
山科なので京都にほど近く、それでいて余裕がある。そしてお布団がシモンズなので快適ですばらしい。
これまでかけた苦労に報いれれば、と、先日家族を招待した時は両親はベッドを持って帰ろうとしていました。んなあほな。


まずはぼろぼろになった身体に健康を取り戻すところから始めました。
精密検査の結果、心臓が弱っていることも分かり、外科手術は2度、そして新型コロナの後遺症療養で1か月入院しました。この2年半苦しんできた「自律神経失調症」は新型コロナの後遺症だったと判明し、今は抗てんかん薬を飲みながら経過診察を受けています。そして怪我の功名か、病床で精神系の薬がすっかり抜け、最初の2つまで減薬が成功しました。

次に職です。いきなりフルタイムは無理です。幸い、科学論文の仕分けの仕事を3日/週の5時間に励みつつ、残った時間で資格の勉強を再開しました。正社員だった頃に取得した基本情報技術者の資格があぶれている、乗りかかった舟だと思い、応用情報技術者試験に挑戦し、何とか合格しました。やったね。しかし合格最低点まであと1点。首の皮一枚繋がってビビった…。
そして、防災研究所のアルバイト研究員に採用されました。
焦らず、一歩一歩、着実に。

やっとこさ3年ぶりの研究発表までごきつけました。発表が終わったあと、長い長いトンネルを抜けて涙が止まらなかった。
論文はまだ執筆途中ですが、3年ぶりに研究発表までこぎつけた。
思えば長い長い年月がかかったものの、人生を再建する地歩固めができあがりつつあります。

借金も何とか着実に返済し、いろいろな重荷から解放されつつあります。
やっぱり親父の言う通り、肉体の健康あって精神の健康あり。

ここからはしんみり来る話をします。
大阪で人の道に戻してくださった。いろいろな方が手を差し伸べてくださった。その手をつかんで、どん底から立ち上がることができた。命の恩人、大阪に行かなければどうなっていたか分かりません。
出来ることなら、また、大阪に帰りたい。
しかし、大阪をやむをえず去るとき、お世話をしてくれた不動産屋さんの社長に最後の挨拶をしている間、不思議と涙が止まりませんでした。
大阪で、衣食住のありがたみが痛いほど分かった。虐げられる側になって、その切なさに寄り添えるようになった。
ひととして器が大きくなった気がします。あの4か月は自分にとってかけがえのない財産になったと思います。
思えば大阪でいろんな方が手を差し伸べてくださいました。釜ヶ崎の方々もそうだった。
「俺の弟子にならないか?」
と黙認されている出店の弟子として面倒を見てやろう、という、気の良いおじさんもおられた*2
三角公園の長老には愚痴を何度も聴いてもらった。
社協*3の方々は、わざわざ家電一式までそろえてくださった。
だから、不思議だった。
「みなさまに本当によくしていただいて、ありがたくて何とお礼をしたらいいか分かりません。」
と嗚咽まじりに本当の気持ちを吐露したら、たとえ商売だとしても
「それは君の人徳のおかげなんだよ」
と。
たとえ商売口上だろうと、絶望しきっていたところにそうした言葉をかけてくださる心の広さに涙が止まりませんでした。
穏やかに授かったこの言葉を決して忘れない。

決して自分を「いいひと」だと思ったことはありません。それどころかほかの人間にとんでもない迷惑をかけ続けた。裏切り続けた。不義理を働き続けた。
差し伸べられた手すら気づけなかった。
でも、大阪のあの方々に叱咤激励されながら、人の道に戻った。戻ってこれた。
自分に罵詈雑言まきちらすネットの人間なんぞどうでもいい。
本当に大事にすべきは、目の前にいて、空気を共有して、目線を合わせて話のできる、現実にいる生身のひとだった。
それすら忘れていた。
そして社長は、
「大きくなったら一緒にまた店にきてください。」
と。
ケースワーカの方は何があったか全部お見通しでした。それでも骨を折ってくださった。
「必ず一緒に幸せに生きてください。」
二度と来るなって意味かと思いましたが、そんな邪推はせず、言葉通りそのまま受け取っています。
そうです、お人よしなんです。
かつて、「お人よしで底抜けに優しいから非情になれない人間」だと言われていました。
それが帰ってきた。
大阪のひとたちに、人の道に戻していただいた。
南海線各駅停車なんば行き、御堂筋線、そして東京に向けて夜をひた走る寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」号東京行き。
今でも思い出せます、ありありと。
やっと福祉の費用も完済し、ひととしてのスジを通しきった。
次は胸と背筋を張って、お世話になった方々に会いに行く。生きる糧もくれました。言葉にできません。
思えば、この3年はいびつな家族ごっこをやめて、それを当たり前と受け止めるために必要な時間だったと思う。

でも、そうして明るく取り繕わないとならないことでもある。直接は言わない。
雲隠は『源氏』のころから不言一律と決まっている。
突然、iPhoneが壊れた。「一緒がいい」とせがまれ、ローンを組んで買うことになったiPhoneだった。
自分の張り方を知らなかった。だから、それを買うしかなかった。情けないが。
それまで健全に動作していたし、故障の気配を全く見せなかった。
妙なことが起きるもんだ。

そして、一脚*4と「永楽音源」のCDも行方知れずとなった。

その日に至るまで、2週間ほどだろうか。ひたすら胸騒ぎが止まらなかった。
行かなければならない、行かなければならない。
あげく、かかりつけ医を「その日」に無意識のうちにずらしてまでいた。行かなければならないと焦っていた。

でも、行かなかった。後ろ髪ひかれる思いだったが、西武新宿線に乗った。
薄情と思うかも知れないが、ひとにはひとの事情があるものだ。

親父曰く「虫の知らせ」だという。

行けばよかったのだろうか。行くべきだったのだろうか。分からない。
もはや答えが出てもどうしようもない。何もかも、手遅れにいる。
そして、これは徹頭徹尾自分の問題だ。他人には分からせまいし、分かるまい。

オカルトめいた話はしたくないが、もとは巫女の家系なので、自分のそうした話は山ほどある。
感じることは多い。
本当に怖いものは、忘れられた神様ですよ。深い深い恨みがある。ぞわっとして逃げ出すことも多い。

おふくろはもっと怖い話を持っている。

さておき、フランスに帰国するいとこの送迎会。
いやあ、フランスのお菓子とお茶って本当においしいですね。
ドゴール主義者はヤバいけど、お菓子とお茶は本当においしい。
今度ごちそうします。本当においしいですよ。関西にも持っていこうかな。自分で食べるだけか。
東京価格で2万とかするらしいです。
えー、多くは語りません。大満足。

従兄弟曰く、「パリでブレッドが1.9倍になればデモが起きる。」と。
日本人もかつてやってたんですよ。食糧メーデーとか。
「朕はたらふく食っておる。ギョメイギョジ」とプラカードを掲げて100万人の都民が皇居に突撃した。
でも、もうデモのやり方も忘れてしまった。

やっぱYouTubeの方がいちばん心地が良いわ。

*1:【公式】京都山科 ホテル山楽 | 滋賀・京都の観光に便利なJR山科駅に直結

*2:「なんでここにいるんだ?観光客か?」と問われ、「いろいろあって、いろいろあったんです…。」と答えたところ、「ここにいる奴らはみんな、いろいろあったんだ。」とひとりごちた。仲間として受け入れられた瞬間だった。

*3:大阪では「しゃ↑きょう↓」と言います。

*4:Velbonの2m×2本でしめて¥49800