過度に適度で遵当な

在日日本人

秋が来た。

暦の上では秋が来ました、と言われてもそれは旧暦ですから1ヶ月早いわけで、今頃が本当の暦の上では秋が来ているはずなのです。ところがそれであっても一歩外に出ればセミの大合唱で家の中は冷房の必要は無くなったとは言えゴキブリが闊歩している。昔はよかった。


この昔はよかった。あくまで全てが主観であって、ここで文を打ち切ってはいけません。あくまで「昔はよかった気がする」としなければなりません。もしかしたらセミは9月下旬まで啼いていたかも知れない。意識していないだけで。ゴキブリは…、これは冬でなければ、成虫になっていない状態なら年中見ることが出来ますよね。
日本では嫌われ者のゴキブリも、中国大陸やイタリア半島にいけば養殖のゴキブリがあるほど一般化した食材です。そもそも現代の昆虫食を毛嫌いする風潮が、ここ半世紀で出来たものです。食糧事情が急上昇する以前の日本では、東京や大阪などの都市部でもバッタやカブトくらいは庶民の食卓にあがることはよくあることでありました。そして21世紀のいまでは、昆虫食は国連が推奨する新しいタンパク質供給源として注目されています。飼料からのタンパク質合成性能がほ乳類に比べて圧倒的に優れているとかか。昔は合理的だった。


さて、大学院の合格が出そろってようやく進路が決まりました。理転受験でも突破してしまい、本当によかったという感想でいっぱいです。旧帝大の学部に通う弟からは「学歴ロンダリング野郎」とTwitterで陰口をたたかれておりますが、ともあれ結果は結果として受け止めていただいきたいものです。決して、お兄ちゃんが行きたかった大学に合格した弟に対するひがみではありません。ないったらないんです。あるわけないだろ。
ところが、卒業単位まで大幅というわけではありませんが、かなり不足している。いわゆるフル単でなければ卒業も怪しい。端的に言います。“ヤバい”
そういえば第一志望の受験でも、解答用紙の小問番号を書き間違える、という試験担当官曰く「前代未聞、初めての」事例をやらかしてしまったので、いや、こういう妄想は気持ちを苦しめるだけですのでやめておきます。やめさせてください。


1960年代に公開された映画「大学の若大将」をご覧になった方はどれほどおられるでしょうか。ご覧になったことのない方のために捕捉するとすれば、どう考えても知的教養もない、分数の計算すら出来そうにない若大将が、大学で女をはべらせ男と乱痴気騒ぎ、ラストに代々続く店をハワイ風のバーベキュー屋?に改築するというお話です。滅茶苦茶なお話です。驚くべきことにこれが当時売れに売れた。一方現実世界の大学に目をやると、1960年代から70年代にかけては、今はもう日本史として語られている学生運動の時代でもあった。ゲバ棒マスクヘルメットという学生運動スタイル(現代なら「コスプレ」として語られそうですね)に身を包み、理論的枠組みなどクソ喰らえでも、大学生が唯々怪気炎を上げ続けていた時代です。それが当たり前であり、そうでない人間はよほどの体育会系か「ノンポリ」学生であった。映画は良いとして、現実世界の学生運動に参加するよ大学生が講義に地道に出席して試験を受けていたとはとうてい考えられませんよね?
だとしたら落第に落第を重ね、この時代の大学卒の肩書きをもつ人間はほとんどいないはずでしょう。ところが、結果は文部科学省の各統計をご覧下さい。

言いたいことはひとつです。

昔はよかった。